KUBOHIROOM

自己探求をしていこう

「ひとつ」に依存しないほうがいいよ

友達いない、仕事ない、趣味という趣味ほとんどない、みたいな、ビックリな私だったんですが、最近はそんなことなくなってきました。

そして思ったこと。何事も、「ひとつ」に執着しないほうがいいということ。

例えば、「恋人からLINEが来ない…既読つかない…!」という人は、恋人ばかりに目が向いてしまっている。そちらに執着が強くなってしまっている。

けれども、こんな経験はないだろうか?

「あれ、バイト終わってふと見たら、LINEの返信来てた…♪」なんてこと。

そうなんだよね。ひとつのことばかり見ていると、時が経つのが遅く感じるもの。悩む時間もその分多くなるし、だから余計辛くなるんだよね。

 

 

ドン底がくれたチャンス

友達の代わりは夫か、母親、という私でした。むしろ、この2人がいてくれたら私の人生はオールオッケーかと思っていたのだけれど、案外そうでもないなと最近感じるわけです。

実は今年、在宅ワークの仕事を失いました。でも、長年ほぼ引きこもりの私には、プライドが邪魔したり勇気がなかったりで、転職活動するのは崖から飛び降りるようなもの。

けれども、いよいよカードの支払いにも絶望を感じるようになってきて、むしろ、何でも良いからさっさと働かないとまずい状況にまでなってしまいました。

今年一番のドン底。働くの怖い、外出たくない、夫以外の人間関係が不安。

でも、その後は野となれ山となれ。なるがままに、動くしかない。気がついたらアルバイトとして働いていました。

死ぬか生きるか、って言われたら、生きるしかないと思って。

たまたまバイト仲間の多い職種を選んでしまい、何十人という方々に会って、一緒に働き、話をしました。年代も様々。一番若くてまだ未成年もいます。上は60代まで。

人生の歯車が回り始めた。って思いました。

 

よくない依存の方法

根っからの内向型で、多分HSP気味の私。できれば自宅に引きこもっていて、夫や母親が(友達代わりとして)居て、なんだかそれでいいと思っていたのですが、そういうものに今は違和感を覚えます。

アルバイトを始めてから、母親の行動や、私の夫への関心度に、疑問がナチュラルにわいたから。

 

例えば母親は、過干渉気味。一緒に旅行したり遊びに行ったり、そういうことが過去に多くて、別にそれはおかしなことではないのですが、母親以外とそういうことがない。そして、母親も、私としかそういうことをしない。つまり、互いに友達がいない。

お互い踏み込みすぎた会話や行動が行き過ぎて、何度も衝突したこともあります。

虫の知らせかなんなのか、Kindleで「共依存の親」という本を読みました。今まで母親に感じていたモヤモヤの原因は、これだったんだ…。母親から離れてはいけない気がしていたから。でも、そうじゃなかったって。

 

そして、私は夫に過干渉気味でした。仕事のことも、趣味のことにも、口を出しすぎていたのです。

「ちょっと言い過ぎたかな。上から目線すぎたかな」って思って反省しても、また同じことを繰り返している。

まるで夫の操縦士のような感覚。もしくは、私は夫の母親なのか?そんなような感じ。

 

二人とのあいだに、共依存のような暗いモヤモヤがあったと思います。

常にこの二人に目が行き過ぎるせいで、私の人生は正常でなかった気がします。

 

アルバイトをして軸が増えた

バイト仲間といろいろ話すなかで、本当に色々な人がいる、と。そりゃ、SNSなどで人々を見ているつもりだったし、DMで会話することもあったけれど、実際に会って目を見て話すこととは、絶対に訳が違う。

「アルバイト上の私」というひとつの世界ができあがった。すると、母親と夫との関係性も、不思議と変わっていったのです。

母親は、私が突然アルバイトを始めたことですごく動揺していた。だって、引きこもりで、いつでも私を呼び出して相手をしてくれるような間柄だったんだから。

新しい世界ができた私に、驚きと寂しさと嬉しさといろいろな気持ちがきっと混じり合っていたと思う。

そこで私は、母親にこう伝えた。本で読んだ共依存のことも話をした。私達って共依存だったかもね、って。「0か100じゃないよ。私はひゅっといなくなったりしないよ。また、二人で旅行したり遊びに行ったって、それは間違いじゃないよ。でも、お母さんにも新しい趣味や友達ができたらいいね。私以外の世界を作らなきゃね」。

母は納得し、今度ヨガで顔見知りの人をごはんに誘う!と意気揚々に言っていた。

 

夫とはご飯の時間がズレることも増えたし、私がバイトしているあいだ、夫は大丈夫だろうか、そんなことを考える時間がなくなった。余計な心配だったんだよね。

その通り、夫は特に何も変わらなかったし、むしろ、私がバイトに出ることで家事を多く手伝ってくれたり、気遣ってくれることが増えた。

実は最近、夫が始めた新しい趣味も、その仲間も気に入らなかったんだけど、アルバイトに出るようになってからは、認めることができるようになった。尊重できるようになった。

お互い新しい世界観ができて、窮屈じゃなくなった。お互いが、知らない、お互いだけの軸。

なんでもかんでも、夫婦で共有しすぎないことによって、すごく心地よく過ごせている。

夫婦だからって、親子だからって、全部知らなくていいんだよ。

 

「ひとつ」に依存しすぎないほうがいい

恋愛でも仕事でもそうだけれど、ひとつばかり見ていると、苦しくなる。

今まで夫のことばかり見てきて潰れそうになったこともあった。夫が自分の思い通りにならなくて、なんでこんなにつらいんだろう、上手くいかないんだろうってそんなことばかり考えることもあった。

でも、ひょんなことからアルバイトを始め、夫以外のことに目が行くようになり、夫のことを考えすぎる時間が減った。

でも、逆に今度は、アルバイトのこと(人間関係など)について考えることが増え、それもそれで、苦しくなってしまって…

で、「違う。私の人生はアルバイトだけじゃない。帰ったら夫もいて、ゲームや読書だってあるんだ」と、そう思ったら、あ、そうか、そうだった!って。

私には一つだけじゃない。他にもあった。つまり、「そればっかり、ひとつのことばっかり」を考えすぎてしまうと、苦しくなる。

 

***

こういう経験から、私は次の目標ができた。

もっと趣味と言える趣味がほしい!もっと、自分の軸(柱・世界観)が欲しい!ということ。

夫と上手くいかなくても、アルバイト仲間がいる。母親がいなくなっても、趣味の友達がいる。仕事で嫌なことがあっても、ボランティアで発散できる。本業を失っても副業がある。

そういう、「たくさんの軸」を持っているほうが、きっと生きやすいんだろうなって。

自分のためは、相手のため。けれど、

相手のため、は押し付けがましい。それは、結局のところ、「自分のため」。

だから、「あなたのためを思って…」っていう人は、信用ならないんだよね。

 

自分の軸を持っていれば、相手がどうであれ、「自分」というものをなくさないでいられる。

まずは、「自分のため」に、やろう。自分の軸づくりをどんどんしていこう!

 

↓自分軸のお話を少しこちらでもしてます

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↓自分軸を増やすという目標ができたおかげで、「いつかやろう」と思ってたこともやれた!

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スキル学歴職歴なし。低収入の私が暮らしていける理由

いつからか、ずいぶんと「一般」「普通」の道から外れてしまった私です。

けれども、だからといって不幸とは限りません。

 

下記ページにも書いたとおり、私には学歴も職歴もスキルもほぼありません。

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資本主義社会に飲み込まれていた過去

今思えば、過去の私は資本主義社会の波に飲み込まれていました。

マキシマリストでもあったし、Apple製品のようなお高いガジェットも大好きだったし、洋服もコスメも大好きでした。

だからいくらお金があっても足りなくて、それこそ闇バイトにでも手を出しちゃおうかななんて血迷ったときもありました。(ダメ絶対!)

スマホ、テレビ、社会、人間関係などで取り入れた情報を鵜呑みにしすぎていて、お金や人脈、いい物を持ち、いい暮らしをしている人こそが、勝ち組なのであり、人生においての成功者で、そういうふうにならないと、とずっと思っていたのです。

その理由からか、「ブログ飯」(アフィリエイトなどで稼ぐ方法)をやっていても、どこか他人を騙すような感じが頭の中にありました。

稼ぎ方は汚くてもよくて、肝心なのは、その稼いだ後の人生。稼いだお金で何をするかで、人生の充実度が変わってくるんだ、と信じて疑わなかったのです。

 

ミニマリストを経て、少しだけ悟った

ところが、ミニマリストを数年ものあいだ追求していくと、いよいよ捨てる物もなくなり、日ごろ買うものもとても少なくなりました。

ご覧の通り家電製品もここまで絞りました。あんなにApple信者だった自分が信じられない!

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断捨離するものなし。物欲も減り、買うものもなし。するとどうなるか?

私は、自分自身の本来の楽しみ、やりたいこと、願望、気持ち、感情、そういったものを見つけて、向き合い、大事に考えていきたい、と。そんなふうに思うようになりました。

 

他人を騙して手に入れたお金に、何の価値もないと考えるようになり、本当はやりたくなかった「ブログ飯」もやめることに。

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自分の好きなものを追求できると、嫌なものから離れる(手放す)ことができてきます。

 

また、汚い商売で稼ごうとしていた自分を手放し、プライドも低くなり、今は単純作業のアルバイトに出ています。

「家から出ずにこそこそ大金を得たい」「そのお金で遊ぶ自分が本当の自分だ」

って思っていたのですから、異常にプライドだけが高く、アルバイトなんて考えられませんでした。けれども今は、自分で決めたことだから不満が出ずにやっていけています。

 

スキル学歴職歴なし。低収入の自分と向き合う

いわゆる普通・一般の人と比べたら、私は普通じゃないです。

短大も中退し、ろくに就活もせず、正社員の経験なし。今はアルバイトで低収入です。特別にいいアパートを借りているわけでもありません。

 

けれど、オールオッケー!

だって、今の現状で満足だし、むしろ過去の自分は「やりたくなかった自分」だったのですから。

決して見栄を張っているわけではなく、本音。

過去の自分が、がちがちの鎧を着ている自分だとすると、今の自分は、どんどんその鎧を脱いで、自由になれている感じ。

見栄、プライド、どろどろした欲望。そういった「鎧」を身にまといすぎちゃっていて、重苦しかった。そういう自分が好きになれなかったけれど、それが「普通」だと思い込んでいたから。

 

本当の自分って、本当に自由で、無邪気なもの

本来、生まれたての人間は自由でナチュラルで無邪気なもの。しかし、メディア、社会、人間関係にもまれて、そういう本来の自分がじょじょに出せなくなってくるように思えます。

普通・当たり前・一般、というようなものを「常識」と考え、自分のやりたいことや気持ちは、無視し、相手や自分はこうであるべきという「〇〇べき論」を持ち出すようになってくる。

でも、そんなことない。人間はもっと、自由にナチュラルで無邪気に暮らせるはずなんです。

その方法は人それぞれだけど、私は、ミニマリストを経て、こうやって自分と向き合える時間を作れたことにとても感謝しています。

もう、他人にどう思われるかを気にして行動しなくていいんだ。見栄を張って苦しくならなくていいんだ。自分の好きなことを追いかけていいんだ。

と思うと、私の人生はここから始まったのかもしれないって、今思ってます。

 

***

もし今、見栄っ張りやプライドの高さ、他人と比べてしまう、自分のやりたいことがわからない、「〇〇べき論」に悩んでいる人がいたら、自分と向き合えていないのかもしれない。

過去に、とにかくどうにかして大金を稼げるようになって、そのお金で遊んでいる自分が本当の自分だって私は思っていましたが、今ではそう思いません。

大金を稼げない自分も自分だし、稼いだお金で遊んでいるのも自分。すべてが嘘偽りない自分。

だったら、じゃあどうしていきたいか?

私は、今自分にできるアルバイトを一生懸命にやるだけ。自分で決めたことと考えているから不満も出ないし、働ける場所があることにも感謝でき、また、働くことのできる自分にも誇らしく思う。

プライドが邪魔して書けなかった、こういう赤裸々な人生も、はてなブログで書き綴ることもできている。

今の自分がやっていることは、すべて自分で選び、自分がしたい、と思っていること。

 

そう考えられるようになると、「スキル学歴職歴なし低収入」であっても、特に大きな不満は感じられない。

新しいスタートを切る!古いブログを消して、はてなブログへ

2018年から今まで続けてきたWordpressのブログを削除することにしました。

そして、2023年夏、はてなブログで新しいブログをスタートさせる。

確かに5年間も続けたWordpressブログを削除することは躊躇した。だって、ドメインだって独自のものを設定していたし、やっぱり5年という歳月をかけたのだから。

 

 

5年間続けたWordpressブログを削除しようと思ったキッカケ

キッカケは下記のページにも詳しく書きました。(ちなみにはてなブログで初投稿♪)

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一言でまとめて書くと、

  • Wordpressでブログをやるほど本格的にSEO対策をしたブログを作らないことに決めたから

というのが、Wordpressからはてなブログに移行してきた理由。

また、下記ページにも書きましたが、

  • Wordpressでのブログは本格的=ネット上の教科書的な特化ブログ
  • はてなブログは、「伝えたいことをネット上にアップ」するツール(ブログ)

私の中ではこういった使い分けが頭に浮かびました。

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2018年にブログを始めたときは、特化ブログでいわゆる「ブログ飯」を目的としていたため、Wordpressでブログを始めたことは間違いではなかったのですが、

今ではブログ飯ではなく、自分の伝えたいことをネット上にアップしておきたいという気持ちが強くなり、WordpressだとSEO対策や、エディター、プラグインなどが使いづらいことから、ブログを書くのが億劫になってしまい、結局「書く(伝える)」ということができていない、本末転倒の状態でした。

結局のところ、ブログってどんなサービス、サーバー、ドメインを使おうと、「書かなきゃ意味がない」と思っています。

それには、「自分が書きたくなるような状況」を作り出すことも重要です。

 

Wordpressのブログ削除して、スッキリ新しい気持ち!

下記のものを一気に削除し、スッキリしました。

  • Wordpress
  • サーバーの契約解除(ドメインは永年無料でした)
  • SNS(ツイッター)アカウント
  • アナリティクスの連携
  • サーチコンソールの連携

私のブログは、過去に何度もジャンル変更してきたため、記事も削除したりし、最終的にはほとんどの記事は残っていなかったため、あまり未練もありませんでした。

むしろ、記事削除に伴ってアナリティクスやサーチコンソールなどでエラーページが多発し、常に「エラーを解決してください」というメールがgoogleから頻繁に来ていました。

これが本当にわずらわしくて、早くブログを消したかった気持ちもありました。

けれども、「5年」という歳月だけが私の気持ちを強く縛っており、普段過ごしている中で、どこか頭の中に引っかかりを感じていました。

それを削除できた今、「ついにやったんだ」という気持ちでいます。

そして、はてなブログを書くその指先は、とても軽快そのものです♪

 

特別お題「わたしがブログを書く理由

せっかくですので、わたしがブログを書く理由をさっくり書いて終わりたいと思います。

過去にWordpressのブログで何度もジャンル変更し、また、特化記事を書きまくったり、それに飽きてしまい、雑記ブログへ変更したりと、まとまりのないブログをずっと運営してきました。

累計収益も、今までのブログ運営費などはすべてまかなえるほどはありましたが、「やっぱり自分は、ブログで稼ぎたいわけじゃない」という気持ちがじょじょに強まっていました。

 

ミニマリストを追求し、いつしか「自分の心」と向き合う時間が増え、

  • そこで得た気付きを、発信したい

という気持ちが強くなり、「ブログ運営」が目的ではなく、「自己発信する場」として、ブログを再スタートすることにしました。

 

はてなブログでスタートしたのは、「文章を書いてみて、書きごこちが良かったから」という単純な理由です。

思ったことをすぐに文章化し、発信していくには、SEOやプラグインなどの機能が揃ったWordpressだと、私にはやりづらかったのです。

そういう意味では、はてなブログのエディターやSEOツールなどは、必要最低限の機能を揃えているだけで、シンプルで使いやすい。

 

***

「自分のしたいことを生きる人生」って、なかなか難しいと思いがちです。

確かに、お金の面、社会的な面、人間関係での面、といういろいろな面で、やれないことは多いかもしれませんが、

案外自分でストッパーをかけているものもあったりするんですよね。これが。

 

私も今回なんとなく、「5年続けたWordpress」というものに縛られて、やめられないともがいていたのですが、辞めてみたら案外なんでもありません。

「やめられない」とストッパーをかけていたのは自分自身なんだなと感じました。

別に、人から辞めるなと直接言われたわけでもないのですから。

 

ブログは毎日書き続けても、1年間で365記事にしかなりません。これが多いか少ないかと感じるのは人それぞれですが、

中には読んでほしい人に読まれない記事がいくらでもありますので、(そもそも検索に引っかからないなどで)やっぱり、伝えたいことがあるなら、毎日、書き続けること。

書き続けていれば、きっと誰か必要な人のもとへ、届くはずなんじゃないかって思うのです。

【ミニマリスト】手放して問題なかったもの(家電編)

「ミニマリスト」という言葉に出会ってから10年が経とうとしています。

 

ミニマリストというと、とにかく最低限のもので暮らすっていうものが正しい概念な気がしますが、

  • 文字通り、「ミニマリスト」というものを目指したいのか?
  • それとも、心地よく暮らしたいだけなのか?

というところを追求していくと、私の場合は後者でした。

とにかく物を削れるだけ削って、それこそ修行僧のように過ごす…ということは、私には到底無理だったため、今は「心地よさ」を目指して、物を取り入れていっています。

 

心地いいは人それぞれ。好き嫌いも人それぞれ。

 

ってことで、今回は私が手放して良かった(ナチュラルに、必要なかった)と思ったものを書いていきます。

ちなみに、下記の記事にも書いていますが、稲垣えみ子さんという方の本に感化され、「買わなくても良かった」という喜びのもと、結果的に物が少なく過ごせています。

 

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家電製品のアレコレ

なんちゃってミニマリストを目指していたころは、Apple信者でもあったし、とにかく家電製品が大好きだった。

ミニマリスト=効率化。っていうのよく聞きますよね。

確かに、分からなくもないけれど、私には必要なかった。手放したものは下記↓

  • ハイスペックのMacbook
  • スマートホーム
  • テレビ
  • Switch Botの温湿度計(アプリも)
  • 炊飯器
  • トースター

ハイスペックのMacbook

私がパソコンでやりたいことは、2017年モデルのMacbookでも余裕でできる(ブログとYoutube見るくらい)だったため、なんだか急にもったいなく感じ、買取サービスに出して、中古のMacbook2017年モデルにスペックダウンしました。

正直、今でもなんら問題なく使えてます!

(むしろM1チップはboot campが使えなくて不便だった)

あとiPadとApple pencilも手放しました。主にYoutube、読書、手書きメモで使ってましたが、PCとiPhoneで事足りてしまう。

それに、ノートとペンは100均の物を今は使っています。ほんとに、これでも十分ですし、目も疲れない。iPadのように充電もしなくていい。

「iPadとApple pencilじゃなきゃやだ~!」「2,000円くらいするお高いノートじゃないとやだ~!」と言っていた過去の自分を軽蔑していますw

 

スマートホーム/ Switch Botの温湿度計

声をかけると家電を起動してくれるアレコレです。

正直、自分の手で起動させたほうが楽だったり、安心感も違います。

  • 声で操作するほどの労力なのか?
  • コンセントも消費するし、電力もかかる
  • ネットワークエラーなどがあったときにめんどくさい

…といったものも、これらを手放すことで見事に解消!むしろ、「なんで今までこんな物を使っていたんだろう?」という疑問すらわくほど。(愛用している方ごめんなさい)

わざわざ電気代までかけて、操作しなくちゃならない家電が我が家にはなかったのです。

それとともにSwitch Botの温湿度計も手放し、アプリも消してすっきり。

温湿度計はアナログがやっぱり最強です。

こういったIoT(ネットワーク)家電は、一見「便利だよ」というように見せかけて、生活をより複雑にしているのでは?と感じます。

Switch Botの温湿度計を取り入れたときは、他の家電もすべてスマート化したくなりました。例えば玄関のドア(鍵)とか、リビングの照明とかです。

でも、そういった欲ってキリがないなと思ったし、そのたびに接続やらエラーやらメンテナンスの手間も増え、コンセントも埋まったり、電力もかかる。

「手でやる」「アナログでやる」。よっぽどのことでない限りは、(例えば赤ちゃんやペットがいて心配や多忙、など)そのほうがいいと思いました。

 

テレビ(49インチ)

テレビは約1年前に手放したもの。これは結構悩んだのですが、やっぱりなくて正解。

そもそもテレビ番組をほとんど見なく、VODサービスばかりの閲覧でしたが、それならPCで見ればいいじゃんと思っても、やっぱり49インチの迫力は捨てがたいもの。

あとニンテンドースイッチのゲームも繋いだりしてやってました。

ただ、一番の結論は、「いくら大迫力とはいえ、やっぱりパソコンでちゃちゃっと開いてみたほうが早いし楽ちん」ということから、テレビは手放しました。

今ではVODサービスも削りに削り、あまり見ないように心がけています。

おかげさまで、テレビ本体の掃除をする手間も減り、コンセントも1つや2や、空き、すっきりしています。

ちなみにメルカリで送料・梱包代込みの値段で売ったため、運送の方が引き取りに来てくれてすべてやってくれ、ちょっとしたお小遣いになりました。

 

炊飯器・トースター

炊飯器が壊れてから、なんとなくナチュラルな生活にハマっていたため、HARIOの炊飯鍋を購入し、それで炊いていました。

けれども、「普通の鍋でもいいんじゃない?」と思ってからは、HARIOはメルカリ行き。今はどうでもいい鍋でぱぱっと炊いています。

浸水1時間以上、ふきこぼれたら弱火で15分ほどし、15分ほど蒸らして食べています。なんら問題ない普通のごはんです。

これを機にトースターも手放しました。こちらの理由は、単純に「トーストしかできない機能」というためだけに、キッチンに置いておくにしては邪魔だなって思っていたため。

今はガスコンロの魚焼きグリルで食パンやお惣菜をグリルしています。正直、直火なので、トースターよりおいしく仕上がっています。

デメリットとしては、トースターみたいにタイマーがないため、気づいたら黒焦げの食パンが焼きあがっていることがたまにあることです。(目を離さなければ問題なし)

 

過剰な家電製品はいらない。むしろ不便にしてくるもの

過去にたくさんの家電製品を所持し、「家電製品を使いこなしてこそ人類!効率化こそ正義!」と思っていた私が、家電製品を手放してみて感じたこと。

それは、「過剰な家電製品はむしろ生活を不便にするもの」ということです。

 

家電製品は確かに便利なものもありますが、

  • まず買う費用が高い
  • ネット接続やエラーの対処
  • 壊れたときの絶望感
  • コンセントが埋まるし、コードも邪魔
  • 電気代がかかる

というデメリットに加えて、「使いこなさなくちゃ」というプレッシャーがわいてくるものです。

だって、高いお金をかけて買ったのなら、使わないと損ですからね。

気にしない人はいいのですが、私の場合はそういった家電製品に囲まれて暮らしていると、常にその家電製品を使ったり、メンテナンスしたり、というものが頭の中に入ってきてしまい、雑音になっていました。

実際にそれらがなくなったときの解放感といったら、言い表せないほど良いものでしたよ。

 

ちなみに書かなかったですが、他にもVR(バーチャルリアリティーの装置)やら、加湿器、電気調理なべ(ヘルシオ)、なども持ってましたが手放してます。

 

今ある家電製品

今使っている家電製品は、

  • 冷蔵庫
  • 電子レンジ
  • クーラー
  • ドラム式洗濯機
  • 除湿器
  • 布団乾燥機
  • ガスファンヒーター
  • 扇風機(サーキュレーター)
  • Macbook12インチ
  • ※ロボット掃除機

電気を使うものといえば、これだけです。

これらは生活にないと命にかかわったり、ちょっと生活の質が落ちすぎるな、っていうものたちです。

ちなみに、我が家はUR団地住まいのため、除湿器は必須。

ドラム式洗濯機は乾燥機能は高いし時間がかかるため一切使用しなくなり、部屋干し+サーキュレーターで一年中快適にお洗濯ができてます!

布団乾燥機はダニパンチと、保温、両方を兼ね備えていて手放せません。

 

ロボット掃除機ですが、これは買ったものではなく実家から譲り受けたものになります。

その前まではダイソン、もしくはほうきと塵取り、雑巾で掃除していましたが、床拭き機能のついたロボット掃除機がこれまた便利で、壊れるまで使う予定ですが、自分で買うか?と言われたら買わないでしょう。

基本はダイソンか、普段こまめに、ほうき+塵取りが快適です。

 

買っても使わない、使いこなせない家電製品

↑にも書いたロボット掃除機のことですが、実家から譲り受けたのですが、

実家は家電製品をたくさん買っては使わずに…ってことを繰り返しています。

両親ともまだ現役の共働きですが、あんなにあくせく働いて稼いだお金を、ストレスなのか家電製品をバーッと買ってきては、買っただけで満足し、使わなくてお蔵入り…そんなことを繰り返しています。

 

確かにその便利な家電製品そのものだけを見ると、便利だからほしいと思ってしまうのですが、いざ生活に取り入れてみると、使うのが面倒だったりで結局使わないっていうことがあると思います。

 

そういった家電に頼らずに、自分の手でやろうとする。それが結果的に楽だったりするし、お金も減らない。だから焦って稼ごうとも思わなくなる。そんな感じに、人生がいい方向へまわっていきます。

なんでもかんでも、家電製品(文明の利器)で解決しようとしたり頼ろうとすると、手間もかかってめんどくさくなり、お金もかかり、そして何より、頭の中がパンクしそうになってしまう。

使わなくちゃ、メンテしなくちゃ、買い替えなきゃ。さらにいやなのが、「これってもっと便利になるのではないか?」という欲望。

人間の「もっと、もっと」はキリがない。終わりなし。だから、新しい家電製品が出るたびに、これ取り入れたらどうだろうか?もっといいものがあるのではないか?なんて考えていたら、時間も労力も無駄になってしまうと思う。

 

基本は自分の手でやりきる。

これが一番おすすめの方法です。

もし、迷っている人がいたら下記の本がおすすめです。私はこれを読んで、そういった欲を手放すことができ、家電製品のために嫌な時間も労力もお金もかけなくなりましたから。

 

 

物に使われない。そういう意味では、今の自分は本当にフリー(自由)な状態♪

「できない」の自己暗示。やりたいことはやっちゃおうよ

最近、かなり古いオンラインゲームをプレイしています。

私が中学生時代から続いているゲームで、当時あまり友人が多くなかった私は、そのオンラインゲームにひたすらハマっていました。

今でこそスマホがあって、みんなと繋がれる時代ですが、当時はインターネット繋いでいない家庭も珍しくなかった。

だから「オンラインゲーム」っていうと、本当に目もくらむような感動があるものだったのです。

 

学校を親に内緒でサボり、昼間からオンラインゲームでゲーム内の友達とひたすら敵を倒す日々。

私はこのときのことを、「無駄じゃなかった」って思ってます。

というのも、大人になるにつれてゲームをしているたびに、

「こんなことやっていて意味があるのだろうか?」と思うようになったからです。

若いときはあんなに無心で楽しめたのにね。睡眠時間を削ってでもやりたかったし、高校生になっても続けていて、バイト中でも「帰ったらやるぞ♪そのために今日バイト頑張るんだ」みたいな気持ちがありました。

ゲーム内で友達と過ごしたあの日々は、大人になってふと「青春だったな」って感じるんです。

 

 

できないの自己暗示

そしてふと最近そのゲームのことが気になり、またやってみたいなって思うこともあり。

けれども、自分の中で「いや、でも敷居高いよね」って感じていて、半年くらいは「やりたいけど、いつかね」みたいに保留のままでした。

  • Macbook使いなので、boot campというツールを使ってウィンドウズをインストールしなくちゃいけない(なんかめんどくさそう)
  • 月額料金がかかるし、追加コンテンツの購入にもいくらかかるか分からない
  • 昔使っていたIDやパスワードを思い出せないから問い合わせしないといけないメンドクササあり
  • もしプレイできたとしても、これからゲームにそんなたくさんの時間をかけて意味があるのだろうか?

とまぁ、こんな感じで、プレイしたいけど迷う。という葛藤だらけでした。

 

けれどある日、思い立ってboot campツールを起動し、ウィンドウズをインストールしてみたのです。

このとき、ゲームをやるまでは考えてはいなかったのですが。

しかし、いざ無事にウィンドウズのインストールが終わると、そのゲームをインストールまでやっていました。

そしてそして、昔使っていたIDやパスワードも問い合わせすると、親切丁寧に対応してもらえ、無事に取得!

いざ、ログイン…!うわぁ、懐かしい(涙が出る)

やっぱりプレイしてみて良かったなぁ。

 

思うに、私が「できない」と思っていたことって全部、自己暗示だったんだ。

面倒くさいからとか、お金かかるとか、時間の無駄だとか、そういう理由を盾にして、やらない理由を作っていただけなんだ。

 

やりたいことはやっちゃおうよ。

でも確かに、大人になるにつれて、ゲームとか娯楽とか、「こんなことしてていいのだろうか?」っていう焦りがあるんだよね。

人生を向上させるもの(例えば資格取得や勉強、お金稼ぎなど)だけを、しなくちゃいけないって思いこんでいて、人生向上に意味をなさないものは、やること自体が無駄。

そんなふうに思ってしまうのです。

でも、ここであえて声を大にして言おう。

やりたいことはやっちゃおうよ!!!です。

 

だって、考えてみたら、そのゲームをこの先10年間毎日12時間とかプレイするはずがないのです。

そういう多大な時間を当ててしまうのは確かに無駄だと感じるのかもしれませんが、ゲームや娯楽なんて、飽きる時間がきっと来るもの。

 

私が不安に思っていたのは、

  • ゲームする時間を向上のために使うべきではなかろうか
  • ゲームが楽しすぎて、家事、仕事、人間関係がおろそかになってしまわないだろうか

と、こんなことだったのですが、いくらやり始めのころはハマりすぎて何十時間も一日に費やしたとしても、きっと飽きる日が来るのです。

正直、私は今(バイト休みの日なので)一日に9時間くらい遊んでいますが、それでも2~3時間ぐらいずつに分けて遊んでいます。

その合間の時間に、家事やらをやっています。この歳になると徹夜もできないので、結構規則正しく遊べちゃっています。

 

お金に関しては、月額料金1,500円と、コントローラーを買ったので2,000円、計3,500円かかってしまいましたが、それでも当時楽しんでいたゲームを遊べるなんて、安いくらいだと思っています。

ちなみにオンラインゲームなので、サービス終了するとサーバーが落ちるため、一生遊べなくなります。

 

いつやるの?今でしょ

私はずっと、やりたいことをリストにため込むタイプで、「いつかやる」と、それが口癖みたいなものでした。

そのために、

  • 今はお金がないから
  • 今は時間がないから
  • 今は心に準備ができていないから

といったような理由づくり(自己暗示)ばかり並べていました。

 

けれども、なんだかそんな自分に違和感が。だから、「とりあえずやってみてから決める」という仮行動をして、一歩前に進んでみました。

結果的にこれがすごくよかったです。

だって、このままの自分だと、きっと「お金、時間、心の余裕」とかそういったものが仮にそろったとしても、「やらないだろうな」って思っちゃったからなんです。

人間って不思議なものなんですよね。

やるための条件は自己暗示にしかすぎなくて、やるための絶対条件ではないんです。

人間やりたいことをやるために必要なのは、「やってみる」というものだけです。

 

さ、今日もこれからゲームを楽しもう!

今、自分が一番やりたいことをやってみよう。

損得じゃなく、インスピレーションも大事にしよう。

そして、「仮行動」。「とりあえずやってみよう」。

人と違う人生。道から外れたっていいんだよ

学校へ行って、卒業して、就活して、就職して、結婚して、子供を産んで…

いわゆるそういった「普通の人と同じ道」から外れてしまった私の人生。

  • 高校は普通科を途中で辞めて、通信制へ編入
  • 大学は中途退学。もちろん卒論も書いていない
  • 就活はしていない、就職もほとんどしていない
  • 20代後半で結婚したが、子供はいない

こんな感じの人生を歩んできて、最初は不安で仕方がなかった。

「なんで皆と同じような人生が送れないのだろう?」って。

けれども、今では100%不安が消えたとは言えないかもしれないけれど、

「こんな私で良かった」と思えているんです。

「みんなと同じでなければならない」と不安に思っている方は、ぜひもう一度考え直してみてほしい。

 

 

他の人と同じ道が歩めない。レールはずれまくりの人生

私の人生、さっきも書いたけれど、ざっとこんな感じ。

  • 高校は普通科を途中で辞めて、通信制へ編入
  • 大学は中途退学。もちろん卒論も書いていない
  • 就活はしていない、就職もほとんどしていない
  • 20代後半で結婚したが、子供はいない

ちなみに成人式も参加していない。

 

地味〜〜な学生時代

中学〜高校の頃から、「なんで学校に行かなければならないんだろう」という疑問が拭えなくて、普通科の高校はほとんど行かなくなって、家でゲームばかりか、バイトばっかりしていた。

受験のときも、みんな塾に通うのが当たり前だったけれど、私はひとりで勉強していた。

気の合う友達は一握りだったし、修学旅行という団体行動も大嫌いだったため、行かなかった。

なんとか大学へ入るも、1年で辞めた。授業にも友達つくりにも、イベントにも、全く興味がわかなかった。

この頃ハマっていたのはやっぱりネットゲームと、バイト。バイト先の年上の人のほうが、なんだか話が合った。

ちなみに、大学1年の頃から彼氏(現在の夫)と同棲していた。

 

ほぼニートのフリーター爆誕

その後はフリーターとも言えるのか?ギリギリニートなのか、ってところを数年間。ネトゲにハマりながらバイトした。

大学の頃やたらとマウントを取りたがっていた友人から数年ぶりに連絡が来たと思ったら、「おたくの彼氏、うちの彼氏の(会社)の部下にならない?」

とかいうメールの内容で、躊躇なく縁を切った。

その後は点々とバイトやパートをするも、人間関係で挫折。

いつしか、やっぱり自分には引きこもり人生が合っているんだ、人と上手くやれないんだ、という気持ちが強くわき、気づけば30代へ突入。

 

今の自分でもま、いっか!というか、今の自分が良いや!

長年、今の夫と同棲生活をしてきて、20代後半にようやく籍を入れた。

この時点で、周りからも不思議な目で見られていたのだけれど、今現在でも夫とは「財布別」で暮らしているため、これも不思議がられる。

しかも、子供もいない。持ち家もない。車も持っていない。

20代の頃までは、この資本主義社会の中で、「他人軸」に寄った人生を歩んできたと思う。

けれども、ミニマリストになって物を減らし、(迷走期はあったけど)自分にとって何が必要なのか、何が心地よいのか、というところを追求していったら、

今まで当たり前と思って買っていた物の、ほとんどが自分にとって要らない物だった

自分軸を大切にしていったら、見栄(プライド)を認めざるをえなくなって、けれども逆に今の自分でいいやと思えるようになれた

下記記事にも書いたとおり、特に「買わなきゃと思っていたものを手放せた」というのは、私の人生の中で目からウロコ現象に近い。

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これからも自分が自分であり続けるためには

なんだかね、今の世の中、「なにが正解かわからないから不安で仕方ない」「正解が知りたい」って不安になっちゃっている方が多いのだと思う。

 

でも、ホリエモンも言っていたように、「正解」なんてない。わからない。

今の私も、この意見にとても賛同できるんです。

 

日本人は特に、「一発で正解を出さなければいけない」(間違っちゃいけない)という思考が強いんだと思う。

でも、一発じゃなくたっていい。それに、正解があるとは限らない。

だから試行錯誤していくのが人生。そう思うと、自分が他の人(普通の人)と全く違った人生を送ったって、いいのではないか?

 

今私が一番大事に考えていること、これからもそうしていきたいなと思っていることは、

「自分にとっての心地よさ」を考えるということ。

みんなが、同じレールを歩まなくたっていい。

世の中のほとんどがつみたてNISAをやっているから「そうしなきゃ」とか、みんながこうだから自分もこうしないと!っていう軽い脅迫概念にかられている人は多いことでしょう。

そういうことを、しないでもいいんだって。

したくないことはしなくても良い、けれども、それをしないでどうなるか?というデメリットの部分も、きちんと見据えて、歩んでいける。

それが本当の、本来の「自由」でもあるんじゃないかなって。

 

***

昨晩、夫とスシローに行った帰り、こんな話をしてみました。

「同じアパートで別々に部屋を契約をして、会いたいときにだけ顔を合わせる生活ってどうかな?」と。

夫の返事としては、今の家賃より高くついちゃうから「なし」だけど、もしも家賃が今より下がったり、メリットが勝るのであれば「あり」なんだって。

 

私はどうも、バイトのシフトやら、やらなければならないことが多くなってくると、ギスギスしやすい性格なのである。「なんで私ばっかりこんなに頑張ってるの!」って、矛先が周りにいっちゃうんだよね。

その牙を向く先が、今一緒に暮らしている夫に一番向きやすいの。

だから、一人で暮せば、夫にそういう思いをさせなくて済む、っていう気持ちがある。それに、昔から一人は大好きだったから。

 

なにも、喧嘩したり離婚したりって、そんなことはしたくないんです。

周りに似たような例が少ないからあれだけど、今後としては、「週末婚」「円満別居」とかそういったことがいわゆる「普通」になっていってもいいんじゃないって思ってます。

もっと言うと、夫婦認定ならば「よそで恋愛する」っていうのも私は結構ありなんじゃないって思うのです。

 

人間それぞれだから、合う生活スタイルだってそれぞれなわけだよ。なのに、「これが当たり前だから」「みんながそうしているから」と言って、結局イライラして喧嘩が多くなったり、結果的に離婚しちゃったら、なんだか勿体ない気がするのです。

 

「人生一度きりなんだから、好きなようにやろうよ」っていう、無理やり(投げやり?)なものを押し付けたいわけではないです。

やっぱり、普通の人と違う道というのは、デメリットもたくさんあるわけだから。それを、社会がどうだこうだって悪く言って、時間を消耗するんじゃなくて、

デメリットも理解した上で、「でも自分はやっぱりこのスタイルが心地いいよね♪」っていうふうに、感じられていけたらいいな、と。

 

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「一生このままの人生なのかな」→そんなことないよっていうお話

最近バイトを始めて、多忙の日々が続いてました。

仕事にも慣れてくると、期待されることも増えてきて、その分、嫌なことも増える。

特に、上の人は「モラハラ気味な人」だなって気づいてしまってからは、さらに居心地が悪くなって、休みの日もバイトのことで悩むことが増えた。

「気軽にさっくりとやろう」って決めて挑戦したはずのバイトなのに、気がつくと休日もずっとバイトのこと(主に人間関係)で悩んでしまって…

なんだか、お先真っ暗になっていっている気がしていたんです。

 

 

一生このままの人生なのか?

そう思うと、本当につらい。

せっかくの休日も、ず〜っと頭の中で、モラハラ上司の発言が気にかかって、

「次もこう言われたらどうしよう」「あぁ言われたらどうしよう」ということで悩んでしまう。

  • この先ずっとこのバイトをやっていくのだから
  • 人間関係を良くしなきゃいけない・みんなと仲良くしなきゃいけない
  • モラハラ上司にどうやって対抗していくか考えなくちゃならない

と、だからつらい。こんな感じの苦しみがありました。

 

ちょっと待てよ。そんなことないのでは?

色々とモヤモヤをノートに書き出していると、「ちょっと待てよ。」と。突然のキムタク。

この思い込みって、誰が決めた?自分で決めたことなんじゃない?

と、思いまして。

別に、

  • 一生このバイトっていうのはありえないよね?
  • シフトは全部OKにしなくたっていいわけだよね?
  • みんなと仲良くなる必要なんてないよね?
  • モラハラ上司を理解する必要なんてないよね?

と、冷静になって考えてみると、こういった考えが湧いてきました。

休みの日、夕方になってようやく、です。

きっと、家事やらをやっているうちに、頭の中から「バイト」のことが抜けてきて、リフレッシュしてきたのでしょう。

頭の中がリフレッシュして健全化してくると、正常なアイデアも湧くものです。

 

視野がとてもとても狭くなっていることに気づく

思い返せばこの1ヶ月、バイトを中心に生活スタイルを合わせてきました。

バイトを始めたのですから、慣れるまでは仕方のないこと。

だからこそ、思考でさえも「バイト中心」になってしまっていると、気がつくことはできませんでした。

 

バイトの人間と関わるたびに、「もっと仲良くしなくちゃ」と思いこみ、

モラハラ上司から小言をチクチク言われるたびに、「もっと小言を言われないようにしっかりしなきゃ」と思ったり、

「期待に答えられる人材にならなきゃ」という思い込みから、シフトを「全部デレマス!」と、決めてしまったり…。

 

今思えば、全然そんなことないです。

つまり、

  • 一生このバイトを続けていくわけではない
  • シフト全部入れなくてもいい。Wワークしたっていいんだし
  • バイト仲間と仲良くなる必要は全くない。仕事は仕事なんだし
  • モラハラ上司のチクチク小言は回避不可能。だから、「ハイハイ」って聞いとくだけで、自分が頑張ってなにかを改善させる必要は全くなし

ここまで、自分で気がつくことができた。

しかし一体、なぜここまで自分を追い詰めて「◯◯べき」というふうに、考え込んでいたのだろうか?

 

もっと別の世界観(柱や軸)を持つべきだ

ふと考えたんだけれど、この状況って、

「仕事しかしてこなかった人が、定年退職をした途端にやることがなくなり、生きる意味を失う」というものに似ている気がしたのです。

 

例えば他にも、

専業主婦で、子供のことしか頭にないお母さんが、息子(娘)に依存してうざがられてしまう、みたいな例もあります。

子供にばかり目が向いていると、その子供が自分の思う通りに動いてくれなかったとき、子供に怒ったりしますよね。これって、共依存の一歩手前になってしまう。

 

要するに、

生きがいや、目を向けるものが、ひとつしかない。だから、そのひとつの世界にトラブルがあると、すごくすごく落ち込んでしまい、不安定になっていくのです。

 

仕事が苦痛で自ら命を断ってしまうニュースも過去に見かけましたが、

今回の私のように、シフト入りまくりで休み(頭をリフレッシュさせる時間)が取れなかったり、「バイト中心」となっていたように、「これしかないんだ!」という固定概念のせい。そういうことと、似ているのだと思う。

 

だから、休めるときは休む。

そして、「仕事だけじゃない」「子供だけじゃない」「家庭だけじゃない」

といった、「それだけじゃないのよ私は」っていうなにかを、他にもたくさん作っておくことが重要なんだよ。

 

他の世界。軸。柱。

 

例えば、趣味。私の場合は、

バイト仲間とは全く関わりのないような、新しい趣味を探して作ってみる。そこで新しい仲間作りをしていく。

もちろん、一人でやる趣味を増やすのもいい。

それから、パートナーがいる人は、改めてパートナーとのコミュニケーションをしっかりと取ってみる。

夫(妻)以外、母(父)、兄弟以外、気の知れた友人以外などでも、コミュニケーションを取れる機会を作っておく。

 

お仕事の場合、正社員の人は、副業などでリスク分散するのもいいし、フリーターだったら、Wワークしてもいい。

 

つまり、仕事、プライベート、人間関係、すべてにおいて、リスク分散をする。

たくさんの世界観、柱、軸を持っておく。

 

他に依存先をたくさん作る

っていう解釈でいいかもしれない。

 

「このバイトしかない」「このバイト仲間しかいない」って思ってしまうと、途端に臆病になってしまう。

上手くやらなきゃ、嫌われないようにしなきゃ、っていう、「◯◯べき論」に縛られてしまう。

 

世界はひとつだけじゃない

今からでも全然遅くはないよ!

自分にとって、やりたいこと、したかったことって何だろう?改めて書き出してみるのもいいかもしれない。

 

自分の色々な、好きな世界をたくさん積み上げていって、それぞれを依存先としてみましょう。

自分の柱をいっぱい立てていく。もしそのうちの1本が倒れちゃったとしても、他にも柱がたくさんあれば、きっとやり直せる!!

 

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そういう意味では、私は、このブログを通じてオンラインサロン的なものを作っていきたいなぁと思っています。

いつか叶えられたらいいな。