KUBOHIROOM

自己探求をしていこう

夫とApple会議をしてみた

iPhone15シリーズが発表されましたね〜

私も夫も、Appleシリーズが好きで長年ずっと使っています。

 

今持ってるのが、

  • 私→ iPhone12 mini、Macbook2017年モデル(12インチ)
  • 夫→ iPhone11pro max、iPad Air4、Macbook pro 2017年モデル

…といった感じ。あとはお互いイヤホンはAirpods proを持ってます。

 

私たち夫婦は、財布別。だから、Apple製品の買い替えも特にお互い、話し合いとかもなしで買い替えてきました。

けれども、今回はなぜか話し合いの雰囲気になったので、話し合ってみることに!

 

余談ですが、夫はアル中を患っていた時期があり、そういうのもあって、話し合いができる雰囲気じゃずっとなかったんですよね。

いつしか私もそんな夫を見て、「アドバイス厨」になり、上から目線のアドバイスばっかりするように。

だから、なにか買うにしても、夫には「なんでそんなの買うの」とか、「必要ないでしょ!」みたいにはねつけてばっかり。

でも、色々あって私もドン底期があり、最近アルバイトを始めて、どんどん性格も丸くなっていった感じがして。

それで、ようやく対等に話せているな、と感じて、嬉しく思ってます!

 

Apple製品の結論としては、

  • 私→ iPhone12 mini、Macbook2017年モデル(12インチ)→MacbookをAirのM2チップに買い替え
  • 夫→ iPhone11pro max、iPad Air4、Macbook pro 2017年モデル →iPhoneを15pro maxに買い替え、 iPad Air4は売却しiPad pro12.9インチを買う、Macbook proは売却

…と、こんな感じにまとまりそう。

 

この結論が出るまで、本当にややこしくて。

まとめると、

  • 私→ Macbook2017年モデルを買い替えたいけど、まだ壊れていないから悩む。あと、iPadで手書きをするか、アナログノートのままでいくか悩む。
  • 夫→ iPadAir4を私に使ってほしい(自分はiPad pro12.9を買う)、Macbookは使う頻度少ないから売る

ということでした。

 

私が悩んでいるのは、まだ使えるMacbookをM2チップのものに買い替えたい欲求があること。

電子書籍を読むのにiPhone12miniでは小さいこと。あと、アナログノートもいいけれど、結局スキャンしてiCloudに保存してるので、それなら最初からiPadで書いた方がいいのでは?ということ。

 

Macbookはこわれたら買い換えようって決めていたのですが、さいきん動作ももっさりだし、バッテリー持ちも悪い。さすがに2017年モデルだからね。

いっそのこと故障でもしてくれたら、ふんぎりがつくのだけれど、壊れていないものを買い替えることに、なんだか抵抗があります。

→結局、M2チップぽちりました。笑 整備品で139,800円で買えました。

現状のMacbookはぼろぼろなので、自宅で、夫と兼用PCとして使おうと思います。

 

夫はなぜか私に、おさがりのiPadを使って欲しいとのことですが、(Apple pencilも持っている)iPhoneやらMacbookやらiPadやら、となると、目に悪い。バッテリー管理のめんどくささもある。

せめて、ノートを書くくらいはアナログでやってもいいんじゃないって悩んでいます。

→ とりあえず、現行のアナログノート(100円)を続行しようと思います。紙には紙の良さがあるんだよね…。あと、こだわらなければ100均ので十分。コスパ最強すぎる。

 

Kindleなどの電子書籍。iPhoneだと小さい上に、SNSなどのアプリが入っているものだから、気が散ってすぐに読書→SNSというふうになって集中できないんだよね…。

→ とりあえずですが、ノートをアナログ続行としたので、電子書籍もiPhoneのままでいってみます…。

 

便利になりすぎるのも、どうかなって考えてしまうのです。

100円のノートみたいにこだわりがなかったら、どこに行っても「ノート」を買って使うことができる。

けれども、やれiPadじゃなきゃ、高い良いノートじゃなきゃ、ってなると、今後もし買えなくなったときにガッカリするじゃないですか。

それがきっと自分の中で怖かったりするんですよね。

 

じゃー、なんでMacbook M2チップに買い替えるんだよwという話なのですが…

いや、Apple製品の魅力ってやばすぎますよね。(語彙力)

見てると絶対に欲しくなってくる。これを買えば、なんでもできるような気がしてくる。自分に足りないものを補ってくれるような感覚にさせてくれる。

 

結局Macbookをポチってしまいましたけど、とりあえずはMacbookだけにしておこうと踏ん切りがつきました。

ついつい、便利にしなきゃ。だから、アナログ→デジタルへ…って、なっちゃうんですけど。一旦、保留に。

良いモデルのMacbookを買ったのに、ボロッボロの100円ノート(メモ帳)を使っているわけですが、まぁそれはそれで面白いですよねw

 

全部、なにもかも良くしなきゃいけない、っていうわけではありませんから。

 

今回、夫とApple会議をしてよかったです。

自分ひとりでは、ずっともんもんと考えてしまっていたかもしれません。でも、一緒に考えて悩んで、って、良いものですね。

バイト先の主婦さんの愚痴をニュートラルに受け流す

プールのバイトに入って1ヶ月以上が経ちました!

私も立ち位置は「主婦さん」なんだけれど、他の主婦さんに比べると年齢はまだ低いです。

 

で、こないだあった出来事。

主婦さん同士で、愚痴大会が始まった〜(^o^)

今までの私だったら、愚痴聞いて、「なんで私がこんな思いしなきゃいけないんだ」とか、「他の主婦さん敵に回さないように」、って考えて、とにかくくたびれてました。

 

ところが、そういう気持ちにならず、上手くスルーすることに気が付いたので、その方法?感覚?をシェアしたくて書いてます。

 

主婦さんが嫌う子。美人で若い子!

その日は掃除でバタバタしていた日でした。

人数的には足りていたはず…なんですが、女子大生のひとりが、勝手に、独断で、好きな役割分担へ行ってしまい、その行動が他の主婦さんにカチンと来たようで。

 

そこからとにかく、主婦さん同士でかたまり、愚痴大会が始まります。

 

ちなみにその女子大生はとっても美人。

しかし、ただ美人で若いだけで、そんなに嫌われるのかな…。

私自身は、その子のことを嫌っていません。(いつも良い香りがして、女の子らしい子!)

 

よくよく聞いていると、若いだけとか、美人だからとか、そういうことではないらしい。

仕事中、嫌な役割を避ける傾向がある。あと、仲の良い子で固まりたいから、先輩の許可も得ずに勝手にそちらへ行ってしまうとか。

 

つまり、自分勝手。よく言えば要領が良いのかな。仕事も上手くサボっているみたい。

それでいて、目上の人から気に入られているみたいだから、真面目に働いている主婦さんからしたら、許せないらしい。とのこと。

 

愚痴は聞く方もつらい

ご存知かもしれませんが、愚痴は聞いてると消耗します。

  1. 生産性のない、結論の出ないもの
  2. 負のオーラが取り巻いている
  3. 次は自分も言われるんではないか、という不安

特に主婦さん関連では、3番が怖いのかもしれません。

 

愚痴っている人は、フラストレーションを溜めています。あんまり愚痴だけで解消されることはないでしょう。

だから、結論のでないことを延々と話す…。終わらない。

話題に飽きてくると、「じゃああの子はどうなのよ」と、別の人を標的にし始めたりします。それが、もし自分自身になってしまったら、怖いですよね。

 

聞くけど、受け入れない

そもそも、一ヶ月前に入りたての新人(わたし)には、話を聞いていても誰が誰だか分からないし、聞いていてもほとんど感情移入ができませんでした。

正直、標的となっていた女子大学の子の名前もあやふやでしたw

 

とにかくその時の私は、ひたすら話を聞くだけでした。

話を聞くスタイルは保ち、「聞く」ことをする。もう一度言います。「ただ、聞く」んです。

過去のわたしは、聞くだけでなく、「理解しようとする」ということまでやってしまっていました。

だから、疲れてくたびれちゃっていたのかな…って今では思うのです。

 

聞いても、理解しようとはしない。とにかく「聞く」という行動をひたすら行います。

それで、意見を求められたら、自分が感じたことを素直にそのまま言うようにしました。

主婦さんの目が怖いから、意見を合わせたりするのではなく。例えば私の場合は、その標的の子が突然、役割の担当からいなくなってて、「えっ?」と感じました。

なので、それをそっくりそのまま言いました。そのとき起こった事実をそのまま述べるもの、良い肉付けになるのでポイントです。

 

「確かにその子、突然、役割のところからいなくなってて〜…驚きましたよ〜。どこかに行っちゃったのかな?なにかあったのかな?そういう役割が嫌だったかな?とにかく、びっくりして。10時ごろになったらその子がまた現れたんで、あ、戻ってきたわーって思いましたね。その後は、エントランスの掃除に入っていましたよね。3人でおしゃべりしながらやっていたから、楽しそうにやってるな〜と思って。」

…といったような感じです。

 

正直、自分の口からここまでベラベラ出てきたのもビックリなんですが…w

後々気づいたのは、

  • 素直に感じたことを話す
  • 事実を述べる

という点を押さえていたから、すんなり話ができたのだと思いました。

私が素直に感じたことは、その子が急にいなくなっていてビックリしたこと。

事実というのは、その子がいなくなったこと、その子が10時になったら戻ってきたこと。その後はエントランスの掃除に入って、3人で喋りながら仕事してた。

というのは、私の感情でもなんでもなくて、ただの事実です。

 

事実を話すのは、ウソをつかないから気がラクなんですよね。

変に取り繕うように、周りに合わせるためにウソをついていない。だから、自分も周りも傷つけない。

今後とも使っていこう、と思ったテクニックでした。

事実を述べているだけで、会話に加われますし、主婦さんはそれを聞いて、頭の中でそのとき起こったことを思い返すことができ、整理できるから、勝手にその後も話を続けてくれます。

 

つまり、まとめると。

  • 主婦さんは、「感情」で話していることが多い(ムカつく、気に触る、あいつ気に入らない、とかです)
  • 聞く方は、理解しようとせずに、ただひたすら「聞く」という行為をすると、心にダメージを負ったり疲れたりしにくい
  • 意見を求められたら、①自分が素直に感じたことを話す ②そのとき起こった事実をそっくりそのまま話す(誰がどこで何をしていた)※自分の感情はあまり話さないのがポイント

 

主婦さんにヘコヘコして、自分にウソをついてまで、話を合わせたくなかったのです。

けれども、かといって、「私はそう思いません!その子はとってもいい子じゃないですか」なんて口を聞くと、また面倒くさいことになるじゃないですか。それは、今後、やりにくくなってしまう。

 

だから、自分が素直に感じたこと、「自分もその子が急にいなくなって少しだけムッとした」ということを、話せばいいのです。

私は現に、主婦さんのようにそこまでムキーー!と感じたわけではなかったので、「ちょっとビックリしましたよ」というように言い換えしました。

で、あとは事実を述べて肉付けをしていく。

その事実を聞いてそのときの様子をまた思い出した主婦さんが、勝手に話を続けてくれます。

 

愚痴を聞いたのに疲れきらなかった自分に、ブラボー!

いつもこういうことがあると、絶対に疲れてぐったりしてしまった自分。でもこのときは、疲れなかったんです。

メンタル疲労がそこまでなかった。家に帰っても、引きずらなかった。

 

じゃ、私はこの主婦さんたちをどう思ったのか?感じたのか?というと、

主婦さんも、イライラする場面がある。その人の価値観だし、そう感じたことはその人にとっての事実なのだから。というものしか感じなかったんです。

 

今までだったら、「愚痴ばっかり言って、生産性ないなぁ。どうせ、若くてきれいな子をひがんでるだけでしょう?ああいう人たちにだけはなりたくない!!!はぁ、疲れた!!!もう聞きたくないわぁ」といった感じでした。

これは、最初にも言ったとおり、「ただ、聞く」ということを通り越して、内容まで理解しようとしてしまっているからだと思います。

ただ、聞いていれば、「あなたは、そう感じたのね。以上」という感想以上のものが、出てきません。「あぁなりたくない」というジャッジも出ません。

 

主婦さんは、聞いてもらってスッキリすることもあるし。私はただ「聞く」だけで、主婦さんの「聞いてもらいたい」のニーズにピッタリ当てはまる。

意見を求められたら、思ったことと事実を述べるだけで、大丈夫。

自分自身にを取り繕ってまでウソをつかなくてもいいし、かといって右から左状態にもならないから、主婦さん団体から孤立することもなし。

 

この方法が100%正しいとか、今後も100%トラブル回避できる神テク!と、言いたいわけではありません。

けれども、今までが、疲弊しすぎていた…ただ、愚痴を聞くのに、親身になりすぎてしまっていたり、自分にウソをつき、ヘコヘコと取り繕い、相手の機嫌をとろうとしていた。これって本当に疲れてうんざりすることなんです。

そういうことをしなくてもいい、というだけで、救われる思いなんです。

HSPで変わる人・変わらない人

HSPという言葉が出回ってから、「まさにこれ自分のことだ」と思ったことがあります。

今まで、何かと人と違う自分に対して、悩んだりもしてきました。

けれども、HSPという言葉が出て、その症状に自分が当てはまるほど安心したものです。

最近は、「HSPはすごい力を秘めている」とか、「HSPは生まれ持ったギフトだ」とか、あたかもHSP=すごい人!みたいに言われていることも多いような気もします。

 

その反面、「HSPは甘えだ!」とか、「HSPってうざい」って言われているのも知ってます。

ネットでHSPと検索しようとするとサジェスト(関連)キーワードに「甘え」「うざい」「わがまま」などと出てくるのです。

 

なんとなく、私は自分がHSP(自称)ながらも、甘えとかうざいとか言われてしまう気持ちも分かってきてしまいました。

今日はそんなお話をします。

内容は、

  • HSPで変わる人
  • HSPで変われない人

の2パターンがいるんじゃないかなってこと。

 

HSPビジネスに違和感

今の世の中、HSPという言葉を知らない人はいないってくらいになりましたよね。

その一方で、HSPビジネスというものも出回ってきているんじゃないかなって。

最近メンタル系のYoutubeを見ると、だいたい「HSP」っていうワードが入ってます。特に、「HSPはすごい力を秘めている」とか、「HSPは生まれ持ったギフトだ」とか、あたかもHSP=すごい人!みたいに言われていることも多いような気もします。

 

HSPながらミニマリストを経て、何年も自己探求(自分探しみたいなもの)を行ってきた私からすると、

HSP=繊細。ただそれだけのことでしかないんじゃないかな?

ということです。

 

だから「HSPはすごい人なんだ」って言われるとちょっと「???」となっています。

それは、あくまでYoutubeの視聴回数を増やすために言っているんじゃないの?と思っちゃいますし、本とかもね。そういう心地の良い言葉が並んでいると、つい人は買ってしまいますから。

何もそういうYoutubeや本を見ることが悪いということではないですよ。

HSPというものについて知識を得られますし、これからどうしていったらいいのかな?っていう問題解決を、自分のちからでやろうとしている、そういう努力っていいですもんね。

 

HSPは甘え?HSPじゃない人の嫉妬?

HSPとネットで打つと、「甘え」っていう関連ワードが出てきます。その理由には色々あると思うのです。

  1. HSPじゃない人が、「ずるい」と思って打ち込んだ
  2. HSPの人が、「HSPは甘え」と現実で言われて不安になり打ち込んだ
  3. または本能的に?「HSPは甘えなんじゃないかな」と疑問に感じた人が打ち込んだ

この3パターン。

でもだいたい①パターンが多いんじゃないかなって。つまり、HSPじゃない人が、「HSPとか言って言い訳して、ずるくない?なんなの?」っていうふうに感じたということ。

 

繊細さんという生きづらさに名前(HSP)をつけてもらい、あたかも免罪符のように使えるようになった(気がする)ので、それに対して「ずるい」っていう気持ちがわいちゃうということ。

HSPじゃなくても生きづらさ(やストレス)を感じている人はいるわけだから、「なんでHSPだけピックアップされてんのよ!」みたいな気持ちになっちゃうのも無理ない…と思います。

「私だって甘えたいんだから!!」っていう気持ちが裏にあるんじゃないかな、って。

そういう人は、スルーしちゃっていいと思います。

甘えたいのであれば、本人がそうしたらいいのだから、なぜHSPの人を標的にするのか、理解できないからです。

 

しかし、中にはHSP=甘え、と言われてしまうのが仕方ないかも…っていうような人もいますよ。それは、もう少し後半でお話します。

 

HSPはどうしたらいいの?

色々言ったところで、じゃあHSPってどうしていったらいいの?どう生きていったらいいの?って。

私もHSPの特性(のネット診断)にすごく当てはまったから、そういうことですごく悩んだ時期がありました。

 

けれど、今思っていることは、

HSP=繊細。で、繊細さを変える必要はないし、それを認めて、自分が生きやすいように、舵(かじ)を切る努力をしていったらいいんじゃないかな、って思います。

 

よくHSPと言うとよくないものだ、カッコ悪いから変わらなくちゃ、とか、そういうふうに思い込んじゃう人がいると思うけれど、HSPという気質はなかなか気合で頑張って変えられるものではないと思うし、変える必要はないと思うのですよ。

むしろ、変えるのではなくて、「自分はHSPなんだな」ってまずは自分自身を認めてあげられるようになること。それが大事なんじゃないかなって思うのです。

 

そうすると、「じゃあ、自分は繊細だから、こういう道を選ばないでおこう。どうやって、自分が心地よく生きられるか考えてみよう」というふうに、ちょっとずつ進路が見えてくるのではないかな、と。

そうして、人生という名の舵(かじ)を少しずつ変えていく。進路変更していく。舵を切っていく。そういうのって大事なのかもしれない。

 

私が、自分自身をHSPと知って、過去にやってきたことで、「あちゃ〜」というか、今では違うなーって思うことは、

やっぱり、「繊細さ」を無理に変えようと努力しようとしてしまったところかな。

繊細さを、図太く変えたら、解決?それはちょっと違うのではないかな、と。

変えられない繊細さがあるからこそ、HSPと呼ばれるんじゃないのかな。

繊細さが簡単に変えられちゃうならそれはHSPではないかも?

 

HSPで変わる人・変わらない人

私が行ってきたHSP対策(繊細な自分を変えなきゃ計画w)で、あちゃ〜って思ったことはまだあって、それは、

HSPを免罪符にして生きること、です。

「HSPだから察してね」っていうのは、ちょっとおこがましいですよね。自分のことを、HSPだという「人物紹介」として使うことは良いと思うけれど、

HSPと言うことで相手になにか察してもらおう、期待しよう。みたいな態度はやっぱり良くないと思うんですよね。

まぁ、そんなふうに言うわけないっていうHSPの方が大半だとは思うけれど。

人物紹介以外で「私はHSPだ」という表現をしたくなったら、ちょっとリフレッシュしてみよう。

今の自分、頑張りすぎてない?疲れていない?休息とれている?周りに合わせすぎちゃっている?と。

潜在的に周りに甘えたくなる、周りに期待してしまいたい、なんとかしてほしい、助けてほしい。そういう言葉が出せなくて、「HSPだから」って主張してしまうのは、よくあることだと思いますよ。

 

HSPだけど、良い方向に人生が変わっていく人って、やっぱり、「他人を変えようとしない」人なのかなって。

↑にも書いたように、周りになんとかしてほしいっていう気持ちが言えなくて、「HSP」と表現することで、察してほしい…と考える人も中にはいます。

それは、他人を「察せられる人に変えたい、変わってほしい」ということでもありますし。

 

また、「自分の言ったことで相手が気を悪くしたらどうしよう」とか、不機嫌な人に対して、「自分が不機嫌にさせてしまったのではないか」っていう思いは言い換えると、

自分は、相手に気を悪くさせ、不機嫌にさせるほどの大きな力を持った存在なのだ。という、ちょっと意地悪な言い方をすると、高慢な心を持っていることでもあるのかな、って思うんですよ。

 

実際に私はこの考えを知ったことで、すごく腑に落ちて、「あ、自分って周りを変えようとしてたのかな」とか、「自分のことばかり考えてしまって、しかも、自分には相手を変えられるほどのパワーを持ってたって勘違いしてたな」とか、思って、ちょっとだけ可笑しく感じられるようになりました。

この頃、仏教をかじり始めていたから、余計にです。仏教の教えって、謙虚なものが多いですから。

 

それから私はあんまりHSPという言葉にとりつかれなくなり、HSPでもいい。繊細でもいい。繊細さは変えなくていい。と思えるようになり、

逆に、「HSPは特別だ」というようなYoutubeや本を見なくても、自分に自信が持てるようになってきました。

HSPは良いものではないかもしれないけれど、悪いものでもないよね。っていう、ニュートラルなものに変わり、「肝心なのはHSPじゃなくて、自分の人生をどうしたいかだよね」と、気持ちを切り替えられるようになれました。

 

 

HSPで変わらない人というか、人生が良くならない人は、「HSP=甘え」って言われてしまう人なのかな、と思います。

HSPを理由にして何かと人のせいにする人が、中にはいるんですよ。

  • HSPだから変われない
  • HSPだから仕方ない
  • HSPだから周りはこうするべき

って、HSPを理由に。

HSPさん=繊細さん=謙虚。と思いこんでしまう人も多いと思うけれど、(実際に過去の私もそうでした…)、本当に謙虚なのだとしたら、自分自身をきちんと認めてあげられていると思う。

「自分はHSP(繊細)だ。でも、だいじょうぶ。自分はこれでいいのだ」って。そういうふうに思えるのは、とても自己鍛錬がいると思うのです。むずかしいもの。

 

生きにくいイライラや不安などの感情を、他人に向けるHSPさんもいるし、自分自身に向けているHSPさんもいる。

あんまり、どちらも良くないんじゃないかな、って。

 

  • 自分の繊細さを他人に押し付けるHSP
  • 他人に押し付けない分、いつまでも自分で抱え込み、「自分は…自分は、」ってなっているHSP

 

要するに、周りを変えようとしているのか、自分のことしか見れていないのか。こういうHSPさんは、甘えって言われてしまう。言われやすいのかなと。

ちょっと、言い方がきつかったらごめんなさいね。

けれども、私の経験上、こういうところを見直すようにしていったら、HSPという枠に囚われすぎないようになったので。

「自分を見直す」っていうのはつらいこと。「やっぱり、HSPという特性が悪いんだ…見直すほど、いけないことなんだ…」っていう思いは、「自分は変わるつもりないから。周りが変わってほしい」っていう、気持ちの裏腹でもあると思う。

こういう、良くない方向の「自分は…自分は…」っていうのは、やっぱり、周りから見ていても気持ちの良いものではないんだよね。

 

実は、私のように、HSP=謙虚でない人もたくさんいると思うよ。

裏の裏を探ると、自分のことしか考えられていなかった。周りに期待して周りに変わってもらおうとしていた、とか。

 

ただ、そういう「黒い部分の自分」も認めてあげていいんじゃないかなって思います。

実は、高慢だった。まぁ、人間なんてそんなものですよ。

自分自身を過剰に責めすぎるのも、高慢さの一部が入っているのです。それは、「自分自分」になっちゃっているから、周りから見ても「またアノ人…」っていうふうに見られちゃって、結果的に生きにくくなっちゃいます。

 

HSPという特性を、良い方向へ持っていけたらいいですね。

いい部分も悪い部分も、全部含めて自分自身だから。

 

 

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怒りたいときは怒ってもいい

人間はある程度大人になるにつれ、感情をコントロールできるといいます。

それは、「怒り」も同じ。

子供の頃のように、気に入らないことがあるとワガママ言って怒ったりとか、そういうのはなくなってきますよね。

 

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確かに、怒りをコントロールすることは大事なのですが、

怒りには2パターンあるので、「コントロールできている怒り」であれば、怒りという方法を使って発散してもいいんじゃないかなって私は思います。

 

コントロールできる怒り・できない怒りとは?

  • コントロールできている怒り=ただ単に怒るというよりも、そこに自分の主張、伝えたいメッセージがあって、それを怒りという方法で表現してみること
  • コントロールできていない怒り=言っていることが支離滅裂になっている。

 

メッセージ性があるかないか、が重要な気がします。

 

例えばなんですけど…、私、最近、祖母に対して怒って、今は疎遠になっちゃっています。

そのときの怒り方は、「コントロールできていた怒り」なんではないかと思います。

背景を説明すると…。私の祖母は、お金遣いの荒い人。正直、国の支援も受けているので、慎ましく過ごしてほしいと思っているのに、お金はあればあるだけ使って、足りないと、身内に無心してきます。(はぁ〜…)

そういう祖母に、今まで「祖母ってありえないよね〜」と親戚中に愚痴を言うだけで、特に本人には伝えてきませんでした。もう高齢だしね、みたいな理由づけをして。

けれど、あるとき、母親との共依存関係に気が付き、祖母の態度にひとこと言いたくなったんです。

 

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祖母に言ったことを要約すると、

「みんなまだまだ働いていて大変なのに、お金を無心してくるのはよくないよ。自分がどれだけ恵まれている環境にいるのか、理解していたら、こんなふうに無心してこないよね。」

といったようなことを言いました。「もう少し計画的に使ったら?」ということも言いました。

しかし、祖母から帰ってきた返信は、想像を絶するもの。

 

「そんなことはハッキリ言って、分かっていることです。私は過去に苦労してきたので、今こうやって報われるのは当然のことと思っています。それに、人生の先輩である私に、なぜそんなこと言うのですか?」

というような内容でした。

 

分かってる??????人生の先輩?????報われるのは当然??????

正直言って、はぁ?????という、感想でした。。。。。

 

自分で、「分かってる」と言っている人ほど分かっていないと思うし、

自分で、「人生の先輩」とか、「報われて当然」と思っている人なわけです。

そういう人に、なぜ親戚中はこうも尽くすのか。私はさらに怒りでいっぱいになりました。

 

それからは売り言葉に買い言葉だったため、

「もうこれ以上話をしても水掛け論なので、終わりにしましょう」といって、返信をするのを辞めました。

 

怒らないでフェードアウトすることが、正しいの?

その後、身内といろいろ話す中で、

「そういうのには関わらないで、スルーするな。自分だったらね。怒らず距離取ったほうが良い。」みたいなふうに言った人がいました。

 

私はこの言葉を聞いてから、モヤモヤが離れませんでした。

自分がこうやって怒りとしてメッセージをぶつけたことを、否定されているように聞こえたから。

怒らないで、フェードアウトするのが偉いの?大人の対応なの?そこに自分の伝えたいことってないの??

と、感じてしまいました。

 

その親戚は、そもそもそういうごちゃごちゃしたトラブルが大嫌いな人だし、「黙っているのが大人」みたいな考えの人です。

何事も冷静に対応して、怒りをあらわにしすぎないのが、確かに大人なのかもしれません。

 

ただ私は、そこに「怒り」という感情がわかないの?それとも、わいても、自分自身にウソをついて、沈めているだけ?とか、いろいろ考えちゃいました。

いきなり怒鳴り込みに行くのは良くないかもだけれど、「自分の伝えたいこと」を怒りのエネルギーにのせて、伝える、ということは、ひとつの手段なんじゃないかなって。

 

黙っているのが大人だから。怒らないほうがクールだから。伝えたいことなんて、伝えたって無駄だから。

…みたいにもし考えてしまうのなら、ちょっと残念なんじゃないかって。

それって大人とか冷静なんじゃなくて、自分がそう見られたいだけで、本当に言いたいことを飲み込んでしまっている状態だよね?と。

 

怒りと、攻撃は違うんだよ

とある心理カウンセラーの言葉が良かったので引用します。↓

社会で生き抜いていくため、適切に攻撃性を発揮することはとても大事。もちろん直接的な暴力ではありませんが、コントロール可能な興奮を伴って発揮される「健全な攻撃性」は、支配的な相手から身を守ることや、交渉において意思を貫くこと、挑戦することなどにつながるわけです。

怒りは、ラインオーバーしてくる相手を「押し返す力」として働き、他人との健全な境界線をつくるうえで欠かせない大切な感情です。

 

ラインオーバーしてくる相手を押し返す力、と書いてあります。

 

  • 怒りで伝えるのか
  • 黙って逃げるのか

どちらも間違いではないと思うのですが、タイミングや状況を見て、メッセージを伝えたいときは、伝えてもいいんじゃないかと思います。

だって、「言わないと分からない」ですからね。人間にはテレパシーとかないんだから。

 

怒り=攻撃ではありません。

怒りのパワーに、伝えたいメッセージをのせて伝えるのは、ひとつの方法だと思います。

「バカ・アホ」などの無意味な言葉を避けて、ていねいな言葉選びをする必要もあると思います。

バカーアホー!などと言って手を出してしまったら、それは攻撃でしかないですからね。

 

***

 

今回の登場人物は3人でした。

  • 言いたいことを伝えた私
  • お金を無心してくる祖母
  • 争いを避けたい。それが大人と思っている?クールな親戚

 

私は祖母に対して適切に、怒りエネルギーに伝えたいことをのせて伝えられたので、なんだか気持ちはスッキリしています。

今まで言いたかったこと、親戚中が裏で、愚痴る癖に本人には決して言わなかったことを、代弁して言えました。

確かに「怒り」だったかもしれないけれど、祖母に対して恨みとかありません。

今祖母は私に対して不快だと思っているかもしれないけれど、不思議と私は全く祖母に対して、怒りの気持ちがないんです。

 

けれど、逆にモヤモヤを感じてしまったのは、クール?な親戚。

争いを避けることはある意味、逃げ延びる手段の一つなのかもしれないけれど…。

「怒らないのがクールだなんて言っていないで、言いたいことあったら言えばいいのに」って、少しだけ感じちゃったのでした。w

 

私は、今まで裏で祖母の陰口を、親戚のみんなと叩くだけでした。

言う自分も嫌だったし、実は聞くほうも嫌だったんだよね。

だから、その思いも含めて、伝えたいこととして怒りを利用して、伝えたら、自分に自身が持てるようになってきました。

 

何事も、すべて、真っ向から、自分の正しいことをぶつけていくばかりでなくてもいい。

けれども、長い間蓄積していたモヤモヤがあるなら、それは怒りであったりする。そして、怒りは飲み込んだりしなくていい。

自分の伝えたいメッセージを伝えるひとつの手段として、そのパワーを借りても良い。

ただし、言葉選びや態度は、適切にね!

 

私は、怒りを我慢している人=大人 ってわけではないと思います。

本当に伝えたいことがあったりモヤモヤがあるなら、伝えることが自分にとって何より大事。

 

怒っている自分はみっともない。なんて思わないでくださいね。

 

 

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【ミニマリスト】日用品で手放したもの(シンプル化)

あんまり物に執着しなくなった、元マキシマリストのミニマリスト(ややこしい)のKUBOHIROです。

過去はめちゃくちゃ物を持っていました。もちろん、日用品も好きでいろいろ揃えていました。

 

けれど、今では毎月リピートして買っている日用品はごくわずか。

そのおかげで、無駄な支出も減り、在庫管理もほとんどしなくて良くなり、家事に時間がかからなくなり、生活の質がアップしました♪

 

今回はそんなお話をしていきますね。

「もっと日用品減らせないかなー」「なにかで兼用できないかなー」という、もっともっとミニマリストを追求したい方に見てもらえたらな、っていうページになります。

 

 

今使っている日用品

まず、昔使っていた日用品で、今は買わなくなったものを書こうとしたのですが、あまりに多すぎたため、逆に「今使っているもの」を書こうと思います。

 

  • トイレットペーパー
  • ティッシュ
  • キッチンペーパー
  • サランラップ・アルミホイル
  • 重曹
  • セスキ炭酸ソーダ
  • クエン酸
  • 中性洗剤
  • パストリーゼ
  • 石鹸
  • 歯磨き粉(歯ブラシ)
  • デンタルフロス
  • アロマオイル

 

大体、生活に使っている日用品はこんな感じ。

これらをどういうふうに使っているのか、書いていきます。

 

日用品の使い方(ミニマリスト的)

お洗濯

セスキ炭酸ソーダとアロマオイル(ティーツリー)で洗濯してます。

過去には除菌のよくある粉洗剤を使ってたのですが、肌荒れしたり生乾き臭もしたり、あと環境に悪いだろうな、と思ってセスキ炭酸ソーダに移行。

普通に洗濯できてます!肌荒れも生乾き臭もなくなりました。

除菌役として、ティーツリーオイルを柔軟剤として入れています。

 

食器洗い

こちらも環境に配慮して、ハッピーエレファントの中性洗剤を愛用中。こちらは香りもよし!

中性洗剤は食器洗いだけでなく、お風呂洗いなどにも使えます。

それに、洗濯物の汚れが少しあるなというときは、洗濯洗剤としても使えます。

中性洗剤はミニマリストにはひとつ持っておくと非常に便利。

 

 

トイレ

使い捨てないパームブラシと、セスキ炭酸ソーダで便器内の掃除を。(後ほどお話しますが、過去には使い捨てのブラシ使ってました)

床や壁、ドアノブ、便座などは、パストリーゼにハッカ油を混ぜたものを使っています。このパストリーゼスプレー(自作)は、消臭にも、ちょこちょこ拭き(いわゆる市販のまめピカの代わり)に使えるので便利。

尿石が気になればクエン酸が効きますが、こまめに掃除しているおかげかできたことがないです。

トイレ内は掃除のしやすさが一番重視なので、トイレマットも便座シートもなしです。

また、トイレットペーパーはこちらを愛用。ミニマリストには超おすすめ。

 

 

お風呂場

風呂場には、石鹸ボディソープと、個人的に気に入っている石鹸の2つを置いています。

むしろ、それ以外置いていないのでスッキリなにもない(味気ない)風呂場です。

石鹸ボディソープは夫が愛用。全身これで洗っています。詰替え用も安いし、石けん素地だけのシンプル処方で安心。

私はミノンスキンソープを愛用中。なんと、これで全身洗っており、さらにはメイクもこれだけで落としていますw

このスキンソープ、他の石鹸には見ない特殊なもので、「弱酸性」となっており、お肌にも優しい。髪もサラサラ、肌もすべすべになる。もう何個もリピートしてます。(高いのが玉に瑕)

 

 

お風呂場を洗うのは、キッチンから食器洗い用の中性洗剤を持ってきてプッシュするだけ。スポンジは今のところ100均。床はたわしでこすります。

ちなみに入浴剤は塩とアロマオイルのみ。たま〜にエプソムソルトの入浴剤を買うときもあります。

 

リビング・キッチン

リビングの掃除はロボット掃除機に。水拭きもやってくれます。

過去はクイックルワイパーや専用シートなども使っていましたが、雑巾で水拭きすればだいたいの汚れは落ちるため、もう買っていません。(セスキ炭酸ソーダと水スプレーを作っておくと便利)

 

キッチンではパストリーゼで除菌。キッチンペーパー、サランラップ、アルミホイルは普通に使っています。

野菜を拭くときは勿体ないので「さらし」を使っていて、ふきんは「びわこふきん」というものを愛用中。どちらも使い捨てないのでエコですし、セスキ炭酸ソーダと一緒に入れて煮沸消毒すると清潔に使えます。

重曹はコップの茶渋汚れに、クエン酸は水垢汚れに。

 

洗面所

手洗い石鹸は固形のものを使用。こちらは、「使っていてテンションが上がるように」と、見た目や香りが可愛いものを使ってます。

 

 

歯磨きは食品グレードの重曹を使うときもありますし、いつもは石鹸歯磨きを愛用中。

ほとんどの商品がラウリル硫酸ナトリウムが入っていて、経皮吸収がきになるため、なるべく避けるようにしています。

 

 

あらゆるものを買わなくなった!

私は「ドラッグストア大好きっ子」でした。

新商品とか見ていて楽しいですし、洗剤の効果とか、商品説明を見るのも大好きだったのです。

 

けれど、一度エコにハマって、環境に優しい洗剤を使うため、重曹やクエン酸などで代用するようになっていったら、むしろ「これでもいいじゃん感」が拭えなくなり…

なんで今まであれを使っていたんだろう?買っていたんだろう?という気持ちしか残らず、今に至ります。

だって、たったこれだけの日用品で、日常生活が送れてしまっているので…。

 

使い捨てないトイレブラシは、清潔だと思っていましたが、やわやわすぎて汚れが落ちておらず、結局汚れが蓄積。サンポールで3日感、パックをしないといけない羽目に…。

これじゃ、なにが清潔なのか分かったものじゃないですよね。

今は、パームブラシでザリザリこすり洗いして、ブラシ自体も最後にじゃぶじゃぶ洗って干しているので、不潔と思ったことはないです。

 

あと、色々なお掃除シート類やウェッティですね。買ってません。使わないからです。

雑巾一枚あればいいですし、トイレはそのままトイペにシュシュっと自作パストリーゼをスプレーすればお掃除シート代わりになります。

食卓でもウェッティも使うことなく、ふきん一枚だけ。

 

それと、芳香剤。一個も買わなくなりました。

その分、換気をするようになり、また、ファブリーズの類の消臭スプレーも買ってません。あまりに買わないものだから、ファブリーズという単語が出てきませんでしたw

ファブリーズは化学薬品でもあるので、むやみやたらに噴射しないほうがいいですし、匂いがあるのなら洗濯したほうが早いです。

お洗濯できないものは、天日干し。天日干しもできないものであれば、水+ティーツリーオイルを混ぜたものを噴射すると思います。

ティーツリーオイル最強なのでおすすめです。

 

 

【メリット】あれこれ買わなくてどうなったか?

今まで本当に日用品大好きで、ドラッグストアやネットショッピングなどで新商品を買ったりしていました。

けれど、今は毎月、日用品にかかるお金が0円のときもあります。

 

  • 日用品にお金がかからなくなった
  • 日用品の在庫管理がラクになった
  • 家事の手間が減った

こういうメリットがありました。

 

日用品の数を減らすと、なぜ、家事の手間が減るのか…

それは、やらなくてもいいことをやりすぎていたからなんだよね。

 

ありとあらゆる日用品を使いこなす分、使いこなす労力も、手間も、買い出しも、詰め替えも、とにかく色々面倒なことがおこる。

雑巾しぼってサッと拭けばいいだけのものを、クイックルワイパーにシートつけて、拭いて、シート取って、なくなったら買いに行って。

あれこれボトルを置くから、掃除しづらくなって、カビて、そのためにカビキラーや燻煙タイプのカビ除去剤を使ったり、っていうと、毎月本当に手間もかかるしイライラもする。(経験済みw)

ボトルなけりゃ、毎日でも掃除できちゃいます。

 

日常で着ていた対して汚れてもいないような洋服を、100%除菌、抗菌みたいな強い洗剤を使わなくてもいいと思いますし。

その代わりにセスキ炭酸ソーダだけで洗濯すれば、セスキ炭酸ソーダは他にも汚れ落としスプレー作りにも使える、トイレ掃除にも使えるから、ものも減る。

 

トイレ用、食器用、床用、お風呂用、洗濯用。そういった、場所別に洗剤類だって、

ちゃんと成分表をよく見てみると、中性かアルカリ性か弱酸性かの違いでしかない。

何箇所も分けなくていーんです!

 

だから、私はお肌にもほぼ何も塗りません。クレンジング用、洗顔用、目元用、リップ用、そういう概念がないので、全部ミノンのスキンソープで洗うし、保湿は太白ごま油のみ。

あれこれ塗っていた昔より、今のほうが肌荒れがないっていう衝撃の事実が…。

 

すべてのミニマリストの方が、こういったスタイルを真似するのは難しいかもしれませんが、

オーバースペックでない適度な洗浄力の洗剤で、日常の軽い汚れを取るために、私はこういうシンプルなものを利用しています。

 

とにかく今はお金もかからずに、ラクです。化学薬品もあまり使わなくなったからか、肌荒れやメンタル的なものも軽減してきました。

 

40%の汚れを、40%落ちる洗剤で掃除する

兼用できるものは兼用する

これが自分にとっては一番心地よくいられるものです。

 

皆さんのミニマリスト生活の参考になれば嬉しいです。

 

kubohiroom.com

 

PMSのイライラ!エネルギーを掃除と断捨離に使ってみる

女性のPMS。しんどいですよね。

私はもれなく月経1週間前くらいから、面白いようにイライラし始めます。

 

最近バイト先に面白いおじいさんが居て、帽子に「イライラしない」ってマジックペンで書いているんですが、その言葉をふと思い出し、無性にイライラが湧いてきてしまいました。

だって、男ってPMSないじゃん。ホルモンバランスが崩れないって楽勝じゃない?イライラすることもないわけだよね。って。

男性の皆様、読まれていたら大変不快に感じたと思います。ごめんなさい。

でも、女性ってやっぱり大変だと思います。

 

男性の皆さんにも少しだけ知っていただけたら嬉しいこと

最近のニュースで、りゅうちぇるさんが亡くなられた報道がありましたよね。未だに、なにが原因だったのかハッキリとした理由は出ていないけれど。

りゅうちぇるさんは女性になりたくて女性ホルモンを投与されていたそうです。

この女性ホルモン投与、すごく難しい問題なんだそう。

男性の体を女性らしくするにはこのホルモン投与が欠かせません。例えば、これを投与すると、髭や体毛が薄くなったり(生えなくなったり)、声が高くなったり、乳房が膨らんできたりします。また、お肌もきめ細かくなり、白くなったりもします。

しかし、副作用として、うつや希死念慮のようなものが出るそうです。

ホルモンをいじくるとは、本来そういうこと。

女性の月経が来るのも、このホルモンバランスがあるおかげです。しかし、副作用として、イライラ、うつ、肌荒れ、むくみ、だるさ、肩こり、頭痛、のぼせ、そういったものが出てきます。

男性はもともとこのホルモンバランスがあまりないですが、女性ホルモンを投与すれば必然的に、ホルモンバランスを崩すことになります。

そうすると、月経前の女性のような症状が出るそうなんです。

 

私が聞いたことのある話では、オカマ(いわゆるゲイ)の方が、女性ホルモンを投与し、亡くなっていった。そんなことが多々あるというもの。

きっとその原因のほとんどが、精神的なものだったのでしょう。

 

「だから何なんだよ」って、男性からすれば思うかもしれません。ホルモンバランスが女性にあって、それが毎月崩れるから、じゃ、どうしろと?イライラして当たり前だと?そう言いたいの?って。

確かにそう思っちゃいますよね。けれど、女性もよく分かっていないから苦しい。。

PMSという病名がついて、その対策もあーしたほうがいい、こーしたほうがいい、とネットでぐぐればたくさん出てくるのだけれど、イライラしてしまうのが先に来るから、そういう対策ですらできないことが多くて…。

 

PMSのイライラ!エネルギーを掃除と断捨離に使ってみた

そういうことで、しょうもないPMSです。女性である限り、どうしようもありません。

とても合理的な男性に、女性ホルモン投与したら楽しいだろうな…と異常な思考になるくらい、イライラ・モヤモヤが頭から消えないことがあります。「イライラなんて大人ならコントロールできるだろ」ってドヤ顔で言っているような男性に投与したら、どういう反応するだろうって。

こういったイライラは、生理が始まったとたんにパッと消えるものだから、やれやれです。

 

さて、今日はそのイライラを、掃除と断捨離のエネルギーに使ってみました。

PMSだとついだるくてゴロゴロしてしまうのですが、こういうときこそ普段やりたくないお風呂場など、ガッツリと体力のいりそうなプチ大掃除をしてみることに。(全く動けない日もあります)

また、普段なら捨てられない物でも、PMSのイライラパワーがあると「ええい!捨ててしまえ!」みたいな感じで、ノリで捨てることができます。

きれいになった机の上を見て、少しだけPMSが和らいだ気もします。

 

PMSって何かとパワーが余りがちだけれど、体や心が重くてついついゴロゴロしがち。そして、「今日なんにもできなかった」っていう罪悪感が湧きがち。

少しでも動けるタイミングがあったときに、掃除や断捨離などの体力や気力が必要なものを行い、エネルギーを発散できると、少し楽になる気がしました。

(※断捨離は、後悔することもあるので注意)

夫のこと好きでも嫌いでもない。普通。

「旦那さんのこと好き?」って聞かれたら、あなたはどう答えますか??

 

私は最近、夫のことを好きでも嫌いでもないことに気付きました。

好き?って他人から聞かれても、困るし、夫本人から俺のこと好き?って聞かれても、うーん。まぁ、好きだけど…。って感じなんですよね。

なんでそう、白黒つけなきゃいけないんだろう??

 

LIKEとLOVE、どっち?

夫のことは、嫌いじゃないし、かといって「好き」って言われると、変な感じがするんです。

好きなところもあるし、嫌いなところもあるし。そういう意味では総合的に考えたら「普通」なのかもしれない。

 

「好き」っていうのは、英語でLIKE(ライク)とLOVE(ラブ)という2つの意味があります。念のため辞書でひいてみると、下記↓の意味。

好む 《★【類語】 like は「好き」「好むという一般的なで,感情的な強い気持ちさない; love は「愛す」で強い愛情観念表わす》:

  • 感情的な強い気持ちをあらわさない=LIKE
  • 感情的な強い気持ちをあらわす=LOVE

な、なるほど…?

でも改めて、言葉にしてみるとよく分からないんですよね。(おい)

 

夫のこと好きでも嫌いでもない。普通。それでもいいじゃん!

普段、夫と生活をしていると、お互いの色々な場面を見るわけです。いい面も悪い面も。

結婚してひとつ同じ屋根の下で暮らすっていうのは、やっぱり特別なこと。

距離が近い分、感情のやり取りも多くなるわけだから、喧嘩の回数も多くなるのはしょうがないことだなって思います。

だから、

  • 喧嘩するほど嫌なことがあると、「やっぱり私、夫のこと嫌いだわ」ってブチギレて、
  • 仲直りすると、「やっぱり夫のこと好きだし、これが愛なんだろうな」って思ったりするわけなんです。

そして今朝も、夫の嫌な場面を見てしまい、勝手に自分の頭の中で幻滅…

私ってこの人のこと、ほんとーに好きなのかな?この先一緒にいて、大丈夫かな?

なんて思ったりして。

 

けれど、ふと気づいたんです。

別に夫のこと「普通」だから。普通でいいじゃん。好きでも嫌いでもない状態でいいじゃん。ニュートラル。だから、いちいち好きか嫌いか白黒はっきりさせなくていいよ。って。

 

一緒に生活をしているだけで、あらゆる感情が揺さぶられるときが多いのに、そのたびにいちいち「好き・嫌い」っていう判断をしていたら、とっても疲れるんですよね。

だから、別に好きじゃなくて良い。無理に好きになろうとしなくていいや、って思ったんです。

けれど、じゃあ嫌いなのかって言われたら、別に嫌なことがあったとしても、殺意がめばえるほど憎く嫌っているわけでは絶対にありませんよね。

だから、好きでも嫌いでもない状態なら、「普通でいいや」って。

 

「旦那さんと仲いいんだね!好きなんだね!」っていう呪縛

たまに、夫とはよく一緒に出かけるよーなどと話すと、「そっかぁ!じゃあ旦那さんと仲いいんだね!好きなんだね、羨ましい〜!うちのなんかああだこうだ(略)」って言ってくる方がいますよね。

 

でも、ちょっとだけ疑問に思ってたんです。

「仲いい?というか、普通…。好きなんだね?というか、普通…。」

別にツンデレでもなんでもなく、普通だから普通。

 

言った相手も悪気があって言っているわけじゃないって分かっているんだけれども。そこにはちょっとした呪縛的なものを感じ取ってしまう。

夫と仲良くしなければいけない。夫を好きでなければいけない。って。

そういったものが頭の中にあると、心狭くなるような気がしてくる。嫌いにもなっちゃいけないのか、っていう、自分縛りみたいな謎の概念が生まれてしまう。

 

だから、「普通」でいよう。別に、普通でOK!

本日言いたかったことはこれなのでした\(^o^)/