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自己探求をしていこう

人と違う人生。道から外れたっていいんだよ

学校へ行って、卒業して、就活して、就職して、結婚して、子供を産んで…

いわゆるそういった「普通の人と同じ道」から外れてしまった私の人生。

  • 高校は普通科を途中で辞めて、通信制へ編入
  • 大学は中途退学。もちろん卒論も書いていない
  • 就活はしていない、就職もほとんどしていない
  • 20代後半で結婚したが、子供はいない

こんな感じの人生を歩んできて、最初は不安で仕方がなかった。

「なんで皆と同じような人生が送れないのだろう?」って。

けれども、今では100%不安が消えたとは言えないかもしれないけれど、

「こんな私で良かった」と思えているんです。

「みんなと同じでなければならない」と不安に思っている方は、ぜひもう一度考え直してみてほしい。

 

 

他の人と同じ道が歩めない。レールはずれまくりの人生

私の人生、さっきも書いたけれど、ざっとこんな感じ。

  • 高校は普通科を途中で辞めて、通信制へ編入
  • 大学は中途退学。もちろん卒論も書いていない
  • 就活はしていない、就職もほとんどしていない
  • 20代後半で結婚したが、子供はいない

ちなみに成人式も参加していない。

 

地味〜〜な学生時代

中学〜高校の頃から、「なんで学校に行かなければならないんだろう」という疑問が拭えなくて、普通科の高校はほとんど行かなくなって、家でゲームばかりか、バイトばっかりしていた。

受験のときも、みんな塾に通うのが当たり前だったけれど、私はひとりで勉強していた。

気の合う友達は一握りだったし、修学旅行という団体行動も大嫌いだったため、行かなかった。

なんとか大学へ入るも、1年で辞めた。授業にも友達つくりにも、イベントにも、全く興味がわかなかった。

この頃ハマっていたのはやっぱりネットゲームと、バイト。バイト先の年上の人のほうが、なんだか話が合った。

ちなみに、大学1年の頃から彼氏(現在の夫)と同棲していた。

 

ほぼニートのフリーター爆誕

その後はフリーターとも言えるのか?ギリギリニートなのか、ってところを数年間。ネトゲにハマりながらバイトした。

大学の頃やたらとマウントを取りたがっていた友人から数年ぶりに連絡が来たと思ったら、「おたくの彼氏、うちの彼氏の(会社)の部下にならない?」

とかいうメールの内容で、躊躇なく縁を切った。

その後は点々とバイトやパートをするも、人間関係で挫折。

いつしか、やっぱり自分には引きこもり人生が合っているんだ、人と上手くやれないんだ、という気持ちが強くわき、気づけば30代へ突入。

 

今の自分でもま、いっか!というか、今の自分が良いや!

長年、今の夫と同棲生活をしてきて、20代後半にようやく籍を入れた。

この時点で、周りからも不思議な目で見られていたのだけれど、今現在でも夫とは「財布別」で暮らしているため、これも不思議がられる。

しかも、子供もいない。持ち家もない。車も持っていない。

20代の頃までは、この資本主義社会の中で、「他人軸」に寄った人生を歩んできたと思う。

けれども、ミニマリストになって物を減らし、(迷走期はあったけど)自分にとって何が必要なのか、何が心地よいのか、というところを追求していったら、

今まで当たり前と思って買っていた物の、ほとんどが自分にとって要らない物だった

自分軸を大切にしていったら、見栄(プライド)を認めざるをえなくなって、けれども逆に今の自分でいいやと思えるようになれた

下記記事にも書いたとおり、特に「買わなきゃと思っていたものを手放せた」というのは、私の人生の中で目からウロコ現象に近い。

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これからも自分が自分であり続けるためには

なんだかね、今の世の中、「なにが正解かわからないから不安で仕方ない」「正解が知りたい」って不安になっちゃっている方が多いのだと思う。

 

でも、ホリエモンも言っていたように、「正解」なんてない。わからない。

今の私も、この意見にとても賛同できるんです。

 

日本人は特に、「一発で正解を出さなければいけない」(間違っちゃいけない)という思考が強いんだと思う。

でも、一発じゃなくたっていい。それに、正解があるとは限らない。

だから試行錯誤していくのが人生。そう思うと、自分が他の人(普通の人)と全く違った人生を送ったって、いいのではないか?

 

今私が一番大事に考えていること、これからもそうしていきたいなと思っていることは、

「自分にとっての心地よさ」を考えるということ。

みんなが、同じレールを歩まなくたっていい。

世の中のほとんどがつみたてNISAをやっているから「そうしなきゃ」とか、みんながこうだから自分もこうしないと!っていう軽い脅迫概念にかられている人は多いことでしょう。

そういうことを、しないでもいいんだって。

したくないことはしなくても良い、けれども、それをしないでどうなるか?というデメリットの部分も、きちんと見据えて、歩んでいける。

それが本当の、本来の「自由」でもあるんじゃないかなって。

 

***

昨晩、夫とスシローに行った帰り、こんな話をしてみました。

「同じアパートで別々に部屋を契約をして、会いたいときにだけ顔を合わせる生活ってどうかな?」と。

夫の返事としては、今の家賃より高くついちゃうから「なし」だけど、もしも家賃が今より下がったり、メリットが勝るのであれば「あり」なんだって。

 

私はどうも、バイトのシフトやら、やらなければならないことが多くなってくると、ギスギスしやすい性格なのである。「なんで私ばっかりこんなに頑張ってるの!」って、矛先が周りにいっちゃうんだよね。

その牙を向く先が、今一緒に暮らしている夫に一番向きやすいの。

だから、一人で暮せば、夫にそういう思いをさせなくて済む、っていう気持ちがある。それに、昔から一人は大好きだったから。

 

なにも、喧嘩したり離婚したりって、そんなことはしたくないんです。

周りに似たような例が少ないからあれだけど、今後としては、「週末婚」「円満別居」とかそういったことがいわゆる「普通」になっていってもいいんじゃないって思ってます。

もっと言うと、夫婦認定ならば「よそで恋愛する」っていうのも私は結構ありなんじゃないって思うのです。

 

人間それぞれだから、合う生活スタイルだってそれぞれなわけだよ。なのに、「これが当たり前だから」「みんながそうしているから」と言って、結局イライラして喧嘩が多くなったり、結果的に離婚しちゃったら、なんだか勿体ない気がするのです。

 

「人生一度きりなんだから、好きなようにやろうよ」っていう、無理やり(投げやり?)なものを押し付けたいわけではないです。

やっぱり、普通の人と違う道というのは、デメリットもたくさんあるわけだから。それを、社会がどうだこうだって悪く言って、時間を消耗するんじゃなくて、

デメリットも理解した上で、「でも自分はやっぱりこのスタイルが心地いいよね♪」っていうふうに、感じられていけたらいいな、と。

 

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