怒りたいときは怒ってもいい
人間はある程度大人になるにつれ、感情をコントロールできるといいます。
それは、「怒り」も同じ。
子供の頃のように、気に入らないことがあるとワガママ言って怒ったりとか、そういうのはなくなってきますよね。
確かに、怒りをコントロールすることは大事なのですが、
怒りには2パターンあるので、「コントロールできている怒り」であれば、怒りという方法を使って発散してもいいんじゃないかなって私は思います。
コントロールできる怒り・できない怒りとは?
- コントロールできている怒り=ただ単に怒るというよりも、そこに自分の主張、伝えたいメッセージがあって、それを怒りという方法で表現してみること
- コントロールできていない怒り=言っていることが支離滅裂になっている。
メッセージ性があるかないか、が重要な気がします。
例えばなんですけど…、私、最近、祖母に対して怒って、今は疎遠になっちゃっています。
そのときの怒り方は、「コントロールできていた怒り」なんではないかと思います。
背景を説明すると…。私の祖母は、お金遣いの荒い人。正直、国の支援も受けているので、慎ましく過ごしてほしいと思っているのに、お金はあればあるだけ使って、足りないと、身内に無心してきます。(はぁ〜…)
そういう祖母に、今まで「祖母ってありえないよね〜」と親戚中に愚痴を言うだけで、特に本人には伝えてきませんでした。もう高齢だしね、みたいな理由づけをして。
けれど、あるとき、母親との共依存関係に気が付き、祖母の態度にひとこと言いたくなったんです。
祖母に言ったことを要約すると、
「みんなまだまだ働いていて大変なのに、お金を無心してくるのはよくないよ。自分がどれだけ恵まれている環境にいるのか、理解していたら、こんなふうに無心してこないよね。」
といったようなことを言いました。「もう少し計画的に使ったら?」ということも言いました。
しかし、祖母から帰ってきた返信は、想像を絶するもの。
「そんなことはハッキリ言って、分かっていることです。私は過去に苦労してきたので、今こうやって報われるのは当然のことと思っています。それに、人生の先輩である私に、なぜそんなこと言うのですか?」
というような内容でした。
分かってる??????人生の先輩?????報われるのは当然??????
正直言って、はぁ?????という、感想でした。。。。。
自分で、「分かってる」と言っている人ほど分かっていないと思うし、
自分で、「人生の先輩」とか、「報われて当然」と思っている人なわけです。
そういう人に、なぜ親戚中はこうも尽くすのか。私はさらに怒りでいっぱいになりました。
それからは売り言葉に買い言葉だったため、
「もうこれ以上話をしても水掛け論なので、終わりにしましょう」といって、返信をするのを辞めました。
怒らないでフェードアウトすることが、正しいの?
その後、身内といろいろ話す中で、
「そういうのには関わらないで、スルーするな。自分だったらね。怒らず距離取ったほうが良い。」みたいなふうに言った人がいました。
私はこの言葉を聞いてから、モヤモヤが離れませんでした。
自分がこうやって怒りとしてメッセージをぶつけたことを、否定されているように聞こえたから。
怒らないで、フェードアウトするのが偉いの?大人の対応なの?そこに自分の伝えたいことってないの??
と、感じてしまいました。
その親戚は、そもそもそういうごちゃごちゃしたトラブルが大嫌いな人だし、「黙っているのが大人」みたいな考えの人です。
何事も冷静に対応して、怒りをあらわにしすぎないのが、確かに大人なのかもしれません。
ただ私は、そこに「怒り」という感情がわかないの?それとも、わいても、自分自身にウソをついて、沈めているだけ?とか、いろいろ考えちゃいました。
いきなり怒鳴り込みに行くのは良くないかもだけれど、「自分の伝えたいこと」を怒りのエネルギーにのせて、伝える、ということは、ひとつの手段なんじゃないかなって。
黙っているのが大人だから。怒らないほうがクールだから。伝えたいことなんて、伝えたって無駄だから。
…みたいにもし考えてしまうのなら、ちょっと残念なんじゃないかって。
それって大人とか冷静なんじゃなくて、自分がそう見られたいだけで、本当に言いたいことを飲み込んでしまっている状態だよね?と。
怒りと、攻撃は違うんだよ
とある心理カウンセラーの言葉が良かったので引用します。↓
社会で生き抜いていくため、適切に攻撃性を発揮することはとても大事。もちろん直接的な暴力ではありませんが、コントロール可能な興奮を伴って発揮される「健全な攻撃性」は、支配的な相手から身を守ることや、交渉において意思を貫くこと、挑戦することなどにつながるわけです。
怒りは、ラインオーバーしてくる相手を「押し返す力」として働き、他人との健全な境界線をつくるうえで欠かせない大切な感情です。
ラインオーバーしてくる相手を押し返す力、と書いてあります。
- 怒りで伝えるのか
- 黙って逃げるのか
どちらも間違いではないと思うのですが、タイミングや状況を見て、メッセージを伝えたいときは、伝えてもいいんじゃないかと思います。
だって、「言わないと分からない」ですからね。人間にはテレパシーとかないんだから。
怒り=攻撃ではありません。
怒りのパワーに、伝えたいメッセージをのせて伝えるのは、ひとつの方法だと思います。
「バカ・アホ」などの無意味な言葉を避けて、ていねいな言葉選びをする必要もあると思います。
バカーアホー!などと言って手を出してしまったら、それは攻撃でしかないですからね。
***
今回の登場人物は3人でした。
- 言いたいことを伝えた私
- お金を無心してくる祖母
- 争いを避けたい。それが大人と思っている?クールな親戚
私は祖母に対して適切に、怒りエネルギーに伝えたいことをのせて伝えられたので、なんだか気持ちはスッキリしています。
今まで言いたかったこと、親戚中が裏で、愚痴る癖に本人には決して言わなかったことを、代弁して言えました。
確かに「怒り」だったかもしれないけれど、祖母に対して恨みとかありません。
今祖母は私に対して不快だと思っているかもしれないけれど、不思議と私は全く祖母に対して、怒りの気持ちがないんです。
けれど、逆にモヤモヤを感じてしまったのは、クール?な親戚。
争いを避けることはある意味、逃げ延びる手段の一つなのかもしれないけれど…。
「怒らないのがクールだなんて言っていないで、言いたいことあったら言えばいいのに」って、少しだけ感じちゃったのでした。w
私は、今まで裏で祖母の陰口を、親戚のみんなと叩くだけでした。
言う自分も嫌だったし、実は聞くほうも嫌だったんだよね。
だから、その思いも含めて、伝えたいこととして怒りを利用して、伝えたら、自分に自身が持てるようになってきました。
何事も、すべて、真っ向から、自分の正しいことをぶつけていくばかりでなくてもいい。
けれども、長い間蓄積していたモヤモヤがあるなら、それは怒りであったりする。そして、怒りは飲み込んだりしなくていい。
自分の伝えたいメッセージを伝えるひとつの手段として、そのパワーを借りても良い。
ただし、言葉選びや態度は、適切にね!
私は、怒りを我慢している人=大人 ってわけではないと思います。
本当に伝えたいことがあったりモヤモヤがあるなら、伝えることが自分にとって何より大事。
怒っている自分はみっともない。なんて思わないでくださいね。